小林秀雄対話集 (講談社文芸文庫)
さすがに小林秀雄、評論も講演もいいが対談も面白い。
冒頭の坂口安吾との対談、安吾は“文学”から距離を置き“骨董趣味”に走る小林秀雄に一抹の寂しさを感じている。小林は、安吾の魅力を“アップ・ツウ・デイト”と評しながらも、“現代”の虚無、“文学”の不毛を直感している。2人の会話はどこまでも噛み合わずパラレルなんだけど、“伝統”とか“文学”とかの同じ言葉に対して、2人が全く違う概念を抱いてるってのが面白いんだよな。話が佳境に入ってからの小林の「お前も少し酔って来たな(笑)」。こういうフレーズが出てくる対談は読んでいて楽しい。
三島との対談は、小林の次の一語に尽きる。「何でもかんでも、きみの頭から発明しようとしたもんでしょ」。リアリズムの対極とも言える三島文学の虚構性を、そしてまた、その過剰なまでのイマジネーションの才能を鋭く指摘している。
江藤淳との対談では、江藤がうまく小林の考えを引き出している。「美」とは「私」のささやかな経験がベースになっているってこと。インテリゲンチャ(!)は頭から入るけど、一番大切なのは経験、しかも「触る」感覚が大事、ってなこと。
小林がなぜ「伝統」に重きを置き、「文学」のあり方に疑問を投げかけているのか、といったことが、様々な論客との対談で、徐々に浮き彫りになっていく様が、とても面白い。
「インテリゲンチャ」をはじめ、「フォーム」とか「レーゾン・デートル」なんて言う当時の術語や、最近では語られない知識人の名前なんかも、時代を感じさせて興味深い。
時を置いて読む対談集ってのも、色々な読み方が出来てなかなか味わい深いもんである。もちろん小林秀雄だから今読む価値もある訳ですが。
新編 作家論 (岩波文庫)
早稲田卒業直後、出版部に奉職して間のない頃、牛込の明進軒で編集会議があって… 私は詩人的詠嘆に包まれたような島崎藤村氏の小説を昔から愛誦している。 私は、「虞美人草」以前の漱石の作品は、少なくとも過半は、発表当時に通読している。 これらの部分だけでも買う価値がある←おおげさ 文章がカンペキで、作家の本質のつかみかた、事実のきりとりかたがあざやかだ
何処へ・入江のほとり (講談社文芸文庫)
高校生の頃、国語便覧で見つけた正宗白鳥に興味を持ったが、当時は岩波その他の文庫では白鳥の作品はどれも絶版または品切れで入手難。仕方なく一冊二千円以上もする筑摩現代日本文学全集の一巻『正宗白鳥集』を購入して読みふけった。箱入りハードカバーの重い本で、本文3段組、細かい活字がびっしり詰まって読みにくい本だった。
それがどうだ、今じゃ常時軽快な文庫本で代表作が読めるのである。あの「塵埃」が、「何処へ」が、「入江のほとり」が、「今年の春」が皆、一冊の文庫で読めるのである。唯一惜しいのは初期の名短編「玉突屋」が収録されていないことだが、これまでの白鳥の文庫ではおそらくベスト版であろう。ただ前回途中で挫折し、今回初めて通読した「微光」は主人公の職業(?)である妾の雇用条件・立場がよく理解できず、小説としての面白みも殆ど感じられなかった。解説にもある通り、徳田秋声か誰かの女の半生モノみたいで、他の自伝的な収録作とはかなり異質。
活字が大きめなのも有難い。年譜や初出も完備しているが、解説は解説者の主観が走り過ぎていて、正直あまりピンと来なかった。収録されてもいない「一つの秘密」にそんなに言及されてもなあ。
講談社文芸&学術文庫は文庫にしては高額で、いつも足元を見られた感じがするのだが、売れ行きから見た採算性を考えれば、殆ど文化的慈善事業とでも言うべきもので、寄付するつもりで購入すべきものであろう。
ゴッホについて,正宗白鳥の精神 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 7巻)
百聞は一見にしかずといいますが、百見(読)は一聞にしかずというCDです。
なんどもなんども。繰り返し繰り返し、味わってみてください。(そのしゃべり口調のせいもあり、何度聞いても楽しい!)
そうして、何度も何度も聞いていると、あるとき不思議な変化がおきました。筆者の全集を読んでみると、今までとは「難しさ」が違うのです。
たしかに言っている事は難しいでしょう、しかし、難しく言おうとしてはいないことがハッキリわかるのです。
読みながら、声が聞こえてくるようです。
そして、だんだん、だんだんと書いてあることがわかってくる感覚が生まれます。 まさに『分かることってのは、苦労することと同じ意味ですよ』
です。苦労しながら、考え何度も読み分かればいいじゃないですか。
このCDは、全7巻は、もう一つの小林秀雄全集でした。