死者たちの語り (コレクション 戦争×文学)
霊的存在を死者と見立てる場合、二類型になってしまう、と思った。
一つは、花が咲く/枯れる、提灯の火が点く/消えるなどということとシンクロして現象としてははっきりとその神秘さが感じられ理解されるのに、それがはっきりと死者の人格を保っているわけではないということである。
もう一つは、人格的個性ははっきりとしているのに、名前が出てこない、在る事、存在することは判っているのに、それがどのようなものでどのように在るか、を説明し言葉にしようとするとなかなかできずに、そういう者としてしか表現できないということだ。
これは、霊的存在が実際、死者ではないということを示しているのかもしれない。が、勿論、死者との距離がそういうものでしかないというだけのことかもしれない。
こういう短編集を編むということは、普通の書籍にはない編者の才覚から蒐集力までが存分に発揮されることから、著者とは別に編者が前面に出て来ざるを得ないことも本企画を面白くしている点の一つであろう。
うるわしき日々 (講談社文芸文庫)
名作「抱擁家族」の続編、と作者自らが宣言しています。
今、このように構成員が壊れてしまっている家族は少なくありません。高齢化社会、弱肉強食の新自由主義に基づく社会が進むにつれ、このように「人生の敗者」になってしまっている成員を抱えた家族はますます増加してゆくと思われます。
この小説は「私小説」なのでしょうか? たぶん、作者自身が置かれたプライベートな状況に極めて近いのでしょう。しかし、少なくともむしろ作者一流のユーモラスな筆致によって、その絶望的な状況は緩和されているようにみえます。
しかし、それはあくまでも見かけです。このユーモアはどこから来るのでしょうか? 開き直りなのでしょうか? それとも生への信頼なのでしょうか? たしかに、このような救いようのない状況に対抗するのはこの「ユーモア」しかないのかもしれません。しかしわたくしはそれが極めて無気味に見えます。現実が、そのユーモアの向こうに隠蔽されたようにみえる分、かえって「救いようのなさ」が強調されているように見えるからです。
ということで、個人的にはあまり好きなタイプの小説ではありません。しかし、好悪を理由にこの名作を推さないのは不公平というものでしょう。
ワインズバーグ・オハイオ (講談社文芸文庫)
オハイオのある田舎町に暮らす老若男女の22の物語が、地元で新聞記者をしているジョージ・ウィラードという青年の存在を媒介にして、ゆるやかにつながっている。(ただし、ジョージ・ウィラードは決してこの小説の語り手ではなく、彼もまた語り手に俯瞰される人間の一人である。)
それぞれの物語の主人公たちは、語り手の鋭い描写力により、そのキャラクターを鮮やかに読者の前にあらわすが、読者が彼等のことを理解しきった!と思えることはないであろう。
最終章で、ジョージ・ウィラードの町からの旅立ちが描かれており、一瞬、青春小説のたぐいだったのかと思わされそうになるが、ジョージを見送る駅員についての描写などを読む限り、やはり青春小説ではないなと思わされる。ジョージが旅立ったあとに目にするだろう世界や人々の物語は、その前の章ですでに語りつくされているような・・・。
このような小説なので、さっぱり爽快な読後感を求める向きには歯がゆいものになるであろうが、これがどうしてなかなか味わい深い作品であるのは間違いない。
未婚の女性や禁欲的な生活を送っている方、あるいは何か重荷を背負わされて前に進めないと思っている方にとくにおすすめしたい。
アメリカン・スクール (新潮文庫)
戦中、戦後の日本の姿が書かれています。本書を読むと、まじめに戦争を行っていた人だけでなく、ちょっと滑稽であり、斜めから世の中を見ている人々も居たんだ、ということが理解できます。そりゃそうです、戦中日本もきっといろんな考えを持った人々がいたことはちょっと考えれば理解できることです。でもそこに踏み込んだ物語を読んだことがありません。作者の不思議な世界観に引きずられてしまいます。一筋縄ではいかない作品集です。
対談・文学と人生 (講談社文芸文庫)
独特の用語法と語り口で作家両名が創作論を交わした文学対談。正直なところ、決して読みやすい日本語を操るお二方ではないため、スラスラ読むというのは難しくじっくり味わいたい一冊だ。
「文学と人生」というタイトルだと文学好き達による人生論や読書論の本みたいだけど、実際は小説の中にどう現実世界を連結させるかとか、随筆的筆法や私小説に関する濃厚な話が展開されており、そういう意識で創作された小説というのは、結局、彼らの作った作品がそうであったように作家の生活や人生が色濃く投影されたフィクションになる。読み進む中でやっとこの境地の話が理解できた僕は、この書名でもまあ別に問題ないんだろうな、ということにしている。
なお、解説の坪内祐三の指摘によると、小島信夫の小説「別れる理由」は両者の対談で終わっており、本対談はこの小説の続きとして展開しているという。「内部と外部」「密閉と非密閉」といった両者の語る独特な文学コンセプトがそのまんま本対談の存在に「成っている」という設計もお見事。若き柄谷行人のヤンチャなエピソードが紹介されているのも、なんか微笑ましくて面白かったです。