ズッコケシリーズも末期になると、弱弱しい話が続くようになる。だが、この巻は生命力に満ち溢れた最後のひと花を咲かせた巻だと思う。エンタメの王道というか、ヒロイックファンタジーのパロディというか、「面白い」とはこういうことだと、堂々と見せてくれる。一部には文学的にどうかという向きもあるだろうし、人物の掘り下げも浅いのではという意見もあるだろう。だが、ズッコケというのは、そもそもそういうものを期待するものではなかった。文学性が加味されていったのは、「バックトゥザフューチャー」あたりからで、それがかえって、シリーズからたくましい生命力を失わせていったのだと思う。
小4のこどもにつられて、何冊かの「ズッコケ」シリーズを読みました。 今までのものは、現実にありそうなことが 物語のメインでした。(いつもその時代のはやりもの)しかし、ついにファンタジーの世界に行ってしまいました。 そう今ハリポタがはやっていますもの なんだかんだ言いながら 面白かったのです。
コンピュータミュージック(この表現が妥当かどうかはともかく)の先達が、ほかならぬ冨田勲氏です。当時その使い方や存在意義すら分からなかった「シンセサイザー」をたくみにあやつり、初めて音楽作品として成功させた、氏の集大成が本作です。往年のクラシックの名曲を、氏の独特のアプローチで表現しています。ドビュッシーの「月の光」「雪は踊っている」といった印象派の小品から、ベートーベンの「第9交響楽」といった大作まで、冨田氏のシンセサイザーへの思いも一緒になって聴くことができます。
私が初めて冨田作品に触れたのは今から25年以上前。氏が小松左京氏と対談しているラジオ放送でした。そこで紹介された氏の処女作である「銀河鉄道の夜」やオネゲルの「パシフィック231」などは、童謡や歌謡曲しか知らなかった私に大きな衝撃を与えてくれました。すでにYMOがデビューし、コンピュータミュージックは認知されていたのですが、「コンピュータが奏でる音楽」という印象の強かったYMOに比し、冨田氏は「コンピュータだからこそ表現できる音色(おんしょく)」に強く注目し、クラシックの「近代の表現者」として努力まい進していたことに感銘を受けたものでした。
冨田氏はシンセサイザーでの作曲のほかに、宇宙から電磁波として送られてくる音源の収集、ドナウ川やニューヨークでの野外ライブなど、貪欲に「音の魅力」をアピールしてきました。本作を聴くと、「音の魅力」のとりこになってしまいます。その手段としてシンセサイザーがあるのであって、決してシンセサイザーの電子的な音が主役になっているのではないことを感じ取ることができるでしょう。
コンピュータミュージックの先達の試行錯誤と、その後の音楽界に与えた影響を考えながら聴いてみてください。そして「音の魅力」を味わってみてください。クラシックの名曲たちが新たな生命を吹き込まれ、近代に再び登場し、音遊びを楽しんでいるような印象を受けると思いますよ。
前巻は月曜日、今回は火曜日・・・。月曜日から日曜日までの七日間についての物語らしいので、当然の事ながら「セヴンス・タワー」を思い出します。書かれている内容も、異世界での摩訶不思議な冒険物語で、似たようなお話を書く意味は何なのだろうとちょっと考えてしまいます。ひょっとしたら最後には二つのお話が合体したりして??(笑)
こんな風にちょっと批判的に書いてしまいますが・・・読み始めると面白いんです。
とにかく呆れるほどの荒唐無稽のオンパレードです。初めのうちはその辺が気になるのですが、ハラハラドキドキのストーリーを追っている内に忘れてしまう??というか慣れてしまうのですね。
極普通の少年が、失われた「遺書」の欠辺の命ずるままに冒険を繰り広げ、ついには異世界の支配者になるなんて、ありえね〜〜!!のですが、ガース・ニクスの語り口に載せられてしまって納得してしまうのです。
明らかな児童向けですが、それなりに面白い。お金至上の現代社会を風刺するような場面もあり、弱々しい少年が、精神的に少しずつ成長していく所や、荒唐無稽でありながら妙にリアルな部分もあって大人でも楽しめると思います。
地底王国は、飛躍しすぎてついてゆけない所が多い。後半の仏教に関する内容は興味があったので、なるほどと思わせる内容だった。
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