幼稚園児が書いた絵(画用紙)を入れて飾る額を探していたのですが、可愛くてサイズがぴったりのものがなかなかなく、
こちらはサイズがぴったりで、デザインもGOODでした☆★
ムスカが、女の子と男の子によって世界征服を阻止される映画です。 ラピュタの正当なる王位継承者ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタが苦難の末に辿り着いた超古代文明の遺産、天上要塞がガキ2人によって破壊され、彼の世界征服の野望は惜しくも砕かれ、無残に海の藻屑と化す悲劇が描かれます。
音声、字幕ともイタリア語が入っていないのが不思議。 個人的には、スペイン語の音声と字幕も希望。
スタジオジブリのアニメのうち、私のいちばん好きな作品。どういう点が好きかというと、6歳の子でもわかる素直なストーリーでありながら、年齢を重ねるほど「わかり方」が深まってゆき、観る者の人生そのものに連れ添って「かぎりなく深まってゆく」映画だからです。
6歳の子には6歳の子なりの「わかり方」があるし、キキと同じ13歳に達した目で見れば、必ずまた新たに得るところがあり、大人になった目で見れば、さらに深く感じるところがあるでしょう。
みんな最初に鑑賞するときには気がつかないかもしれませんが、この作品で重要な役割を果たしているのは、キキがパイを焼いて届けたときに受け取りに出てくる「おばあちゃんの孫娘」です。あとで、トンボの自転車に相乗りして海岸へ行ったキキに対して「一緒に遊ばないか」と声をかけたグループの中に、その子もいたのです。「あの子、知ってる。宅急便やってる子よ」と言ったのは、あの、「私、このパイ嫌いなのよね」と言ってバタンとドアを閉めた、あの「おばあちゃんの孫娘」だったのです。
せっかくの努力に、あれほど冷たい仕打ちで応えられたキキは、その子の姿を目にしたとき、一緒に遊びの仲間入りすることは、自分のプライドが許さない気持ちがして、その結果、「私は仕事があるから帰る」と言って、せっかく親しくなれたトンボにも、プイと背を向けてしまうのです。
でも、あの女の子がそれほど悪い子だったかというと、別にそうでもないのです。その子にしてみれば、孫娘の好みも確かめずにパイを焼いて送ってくるおばあちゃんの親切は、自己満足の押し付けがましい親切と思えて、うっとうしかったのです。お届け物屋さんのキキに八つ当たりする気はなくても、つい文句のひとつも言いたくなってしまったのです。その自分のひとことが、キキをあんなに傷つけるなんて、思ってもみなかったのです。
こう考えてくると、「せっかく私がこれほど努力して届けたのに……」と傷ついてしまったキキも、自分のひとことが他人を傷つけるなんて思ってもみないで、ついひとこと言ってしまった女の子も、どっちも、私たち自身が人生で体験する立場だということがわかってきます。キキとあの子とは、どっちも観客である私たち自身のなのです。
「どっちも私自身」なのに、それが衝突してしまうのが、人生なのです。その「私」へのこだわりがなくなり、「トンボを助けなければ」という一念だけに立ち返ったとき、キキの魔法の力は劇的に復活します。
この場面は、思いっきり泣けます。「そうなんだよ、そうなんだよ。このつらい悲しい人生の中に、もし仮に奇跡と呼べるものがあるとすれば、それは、こういうときにだけ起こるものなんだよ」と思えるからです。
私が子供の頃に母が読んでくれました。幼稚園での出来事が重なってとっても楽しく聞いていたのを思い出します。今では娘に読み聞かせているのですからロングセラーです。しげるちゃんを自分におきかえて想像力がふくらみます。
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