唐突に始まるセックスシーン。頻繁にくりひろげられるセックスシーン。ゼンゼン気持ちよくなさそうなセックスシーン。不思議な体位が、まるで苦行のようなセックスシーン。凄く露骨なのに全く卑猥ではないかわりに、ちっともエロティックでもないセックスシーン。…に、「これはいったいなんだろう?」と、笑ってしまうほどなのだけど。
でも・・・アンジェイ・コジンスキーの激しくリズムを刻む音楽をバックに、アップで映し出された絡み合う男女の裸体が、抽象画のように美しい…。『愛』の物語ではあるのだ。
人類学者のミシェルと、「
イタリア女」と自己紹介する「女」。
「女」は、ミシェルにしか「感じない」と言い、ミシェルも他の女性とは「デキなく」なる…。(男女の間とは、煎じ詰めればそういうことなのかもしれない。)
ミシェルの中には、巣食い蠢くふたつのモノがある。女性への複雑な感情(不信感)と、物質文明への懐疑心。
自分が「女」に魅力を感じれば、そんな自分が腹立たしくて女性に酷い仕打ちをし…。
「女」が自分にのめり込めば、売女呼ばわりで罵倒する・・・倒錯し愛憎あいまみえる、それがミシェルの『愛』なのだ。
「三角(四角?)関係」も絡み、「女」は、どんどん『狂度』を増していく。(『ポゼッション』のアジャーニには及ばぬものの…)吐き、川原でいきなり用を足し、髪振り乱し、腕振り回し、激しく踊り…etc...etc
独特のリズムと疾走感のある映像と、それにかぶさるコジンスキーの音楽に激しく巻き込まれ、周りも皆、おかしな具合いに壊れてゆく。(マフィアも絡むし、ヘンな人もいっぱい出て来て、観ているコチラも壊れそう…。)
人類学者のミシェルは、発掘したミイラを「シャーマン」と見極め、死因追求と頭骨破損の意味究明に躍起になり、自分自身のシャーマン妄想をも膨らませ・・・突っ走る破滅への『狂躁曲』は、やがて驚愕のラストを迎える。
これ以上は『グロ』すぎるので書けない。…というか、ネタバレしてしまうからストップ!
(でも、ちょっとだけ。)
この『グロい』ラストの出来事のおかげで、ミシェルの『魂』は『脳』から解き放たれ、永遠の命を得ることができたのだ。(ということなのだと推測です…。)
でも…多分…このあと(映画の中の)世界は終末を迎えるのに…。
そんな状況で、自分の『魂』にやどってしまった永遠の命というのは、ちょっと…いやだいぶ寂しい気がする…。
これは、いったいなんと言えばよいラストなのだろうか・・・?
いろいろと書いたけれど、この映画狂気まみれの映像のなかに、ときおり清冽なメロディーとともにハッとするほど美しいシーンがある。そこで交わされるのが、「なめさせろ。オレがイカせてやる。」なんていうセリフだったり…それにつづくシーンは、娼婦が車のボンネットの上で、煙草片手にドギツイ色のルージュをぬりたくりながら、三人の男相手に「商売」したりする…。そんな、雪の舞うワルシャワに青く冷たく沈む悲しく美しいシーンが、私は好きだ…。
(わけの判らないレビューですが、なんとか判ってください…笑。まちがいなく、好みの別れる映画です。「ふつう」は無くて、「好き」か「嫌い」か、どちらかだと思う。)
↓ コメント、ネタバレしております(…笑)。
ヒロインの言動が狂ったものにしか見えず、話がどうこういう前にどうも受け入れがたかったです。ワルシャワの雰囲気ってこんな感じなのかな、とかいう見方をすると結構面白い。あんまり知らないもんで。受け入れられないのは文化の違いもちょっとあるのかも?それにしても、ラストにはびっくりしました・・・・・うわぁ・・・っ