「望郷
バラード」との出会いは,直接的には外交官であった岡田眞樹氏がブカレストでの深田亮子氏と敦子のリサイタルに感動し,この曲を敦子に託したことが契機(岡田氏は77年にウィーン近郊の教会でこの小曲にうたれ,演奏者のイオン・ベレシュに会い,さらに85年に再会した時にこの曲の譜面をもらう)。
しかし,ここに至るには紆余曲折があった。
ブカレストでのリサイタルへの道をひいたのは,中野雄氏。条件は極めて悪かったが(航空運賃など演奏者持ち,ギャラは一回の演奏15$),敦子はこのチャンスに挑んだ。敦子がここで二の足を踏んだら,「望郷の
バラード」はなかったかもしれない。
「時の人々」(中野氏との対談形式)では,生い立ちから,両親のこと,ヴァイオリンの習い初めから一流の演奏家となる過程,名器ストラドの話,井上光晴,丸山真男との交流など。敦子は井上武雄,海野義雄の指導で土台をつくり,コーガン,グレッパースの指導で逞しく成長,押しも押されぬ一級の奏者となった。
丸山真男追悼で弾いた「シャコンヌ」で開眼。1999年12月に紀尾井ホールで開催の「無伴奏コンサート」でも喝采を浴びた。自称,飲兵衛。
クラシックだけでなく、この「ふるさとのうた」でも、ほかのソリストの方とは違った天満さんならでは世界が広がってくるのを感じます。その情感豊かな演奏は、一度聴いたら耳から離れないと思います。
2003年5月から2008年5月にかけて収録された7つの音源から編集されたベスト・アルバムです。01-06、08、11、13、14の曲目は吉武雅子さんのピアノ伴奏、07、09、10、12番目の曲は小林英之さんのオルガン伴奏にのせて、天満敦子さんのヴァイオリンが縦横無尽に躍動しているのが伝わってきます。
天満さんの奏でるヴァイオリンの音色は明らかに他の奏者とは違って聴こえてきます。どのメロディにも熱い感情が包まれており、時には激しく音程の限界まで揺さぶりながら内なる激情を音にのせているのです。彼女の演奏を聴く時は音楽と正対しながら真摯に聴くという姿勢を取ってしまうのですが。
6曲目の「ツィゴイネルワイゼン」などは特に彼女の特質を前面に出した演奏でしょう。音楽が躍動し、うねり、叫び声を上げるかのように聞こえてきます。音程のブレやアタック音の強さ等はリスナーの好みに合わないとその個性的な演奏が受け入れられないこともあるかも知れません。ただ、これほどサラサーテが伝えたかった音楽を身体ごと預けて表現できる演奏家は希有な存在だと言えると思います。弱音でのすすり泣くような音色は心の深い所に突き刺さるようでした。
カッチーニの「アヴェ・マリア」では、内なる悲しみを押さえることなく、ほとばしる熱情のまま(特にオブリガードの旋律は泣けてきます)、カッチーニの思いをヴァイオリンにのせて伝えてくれました。弱音の響きの美しさは彼女の愛機アントニオ・ストラディヴァリウスの名品やウージェーヌ・イザイ愛用の名弓の良さもあるでしょうが、彼女の感情の豊かさの発露とも受け取っています。クラシックの演奏でここまで心を揺さぶられる演奏はそうはありません。
ポルムベルクの「望郷の
バラード」は、夭逝した作曲家の辛く悲しい人生を象徴するかのような悲しい旋律に彩られていました。まるで人のすすり泣きのように聞こえてきます。歌詞がついているかのようですし、感情のほとばしりをこのように明確に伝えられるのは技術の冴えだけでは到底なし得ません。その音楽に内在している深く密やかな感情を掘り起こし、ヴァイオリンにのせて浮かび上がらせることによって我々の涙腺を刺激してくれるようです。この知られざる
ルーマニアの作曲家による畢竟の作品を世に問い、ベストセラーにまで育てた天満さんの功績は音楽界の枠を超えた素晴らしいものだと思っています。
ただ、マスネの「タイスの
瞑想曲」のような優美な曲の演奏では、彼女のアタックの強い奏法をマイクがそのまま音を拾ってしまうので、それを気にするリスナーはいると思います。
これなども日本のクラシック音楽シーン特有の優等生的な音楽とは別次元の表現なのかもしれません。
ラストに収められた聴きなれたモンティ「チャルダーシュ」も悲しみに包まれていました。情熱のほとばしりを強く感じられる演奏ですので、クラシック音楽が苦手な人にも聴いてもらいたいですね。その真髄に触れることが、その裾野を広げることにつながると思います。