遂に、というか、ようやくというか、邦画大手4社の中で唯一DVDの廉価化に消極的だった東宝ビデオが、重い腰を上げたようだ。
特撮物やクレージー・キャッツ、森繁社長シリーズの
講談社へのDVDブックス化提供に続き、自社ソフト商品として、今回、黒澤明作品群に、若大将シリーズと金田一シリーズが、晴れて、廉価化される運びとなった。
黒澤作品がお求めやすい価格でリリースされるのは今更の感があるが、他のシリーズは、一部廃盤化されていた事もあり、歓迎したい。
で、「悪魔の手毬唄」である。
横溝正史と言うと、私の中では、アガサ・クリスティと並んで、稀代のストーリー・テラーとの認識がある。
今原作も、岡山県の奥境の鬼首村という伝奇的でおどろおどろしい架空の村を舞台に、忌まわしい血縁関係の中、村に伝習されている手毬唄に合わせて、「そして誰もいなくなった」よろしく連続殺人が起こるというケレン味たっぷりな展開で、「八っ墓村」や「獄門島」と共に、氏のベストと言って良い。
映画の方も、76年に、角川春樹が、“読んでから観るか、観てから読むか”をキャッチ・フレーズに、「
犬神家の一族」で大ヒットを飛ばして以降、数多く製作された金田一耕助シリーズの中でも最高傑作との呼び声が高い。
熱烈なミステリー・ファンであり、当代きってのスタイリッシュなモダニストである市川崑が手掛ける事により、陰々滅滅でどろどろした原作世界が、そのムードを生かしつつも、適度に抑制される。
フラッシュ・バックやズーム・アップ、テンポ良い編集に畳み掛けるカット・バックで、いつもながらのリズミカルに映像処理されるその演出マジックは、ミステリーとしては強引で、シリーズお馴染みの“恐ろしいほどの偶然が重なる事”に興ざめしてしまいそうな気分を忘れさせ、観る者を幻惑させる。
そして、まるで原作から抜け出てきたかのような磯川警部役の若山富三郎の語り継がれる名演。
昭和初期の寒村のうら寂れた風情の中、深々と描かれる彼の悲恋の顛末が、今作を一層情感深いものにしたと思う。
公開時、映画ファンがこぞって指摘したラストの駅での、金田一からの問いかけに答えぬ磯川の気持ちを、まるで代弁したかのような“そうじゃ”の駅名のアップは、全く偶然の産物らしいが、そんな遊び心がいかにも行われているかのような気分にさせられる、映画ファンにとっても、ミステリー・ファンにとっても、“幸福”を感じさせる傑作だ。
公開当時、化粧品会社とタイアップし、
たしか「口
紅にミステリー」ってキャッチコピーがCMで流れていたのを懐かしく思い出します。
市川金田一作品の中では、評価が芳しくないようですね。
確かに、智子役の中井貴恵さんは新人ということもあり、演技は?だし。
絶世の美女…ではないような…
智子役が絶世の美女だったら、評価も上がったのでしょうか?
でも、私は本作品は好きです。豪華キャスト陣の素晴らしい演技。
脇を固める役者さん達も良い味出してます。とくに伴淳三郎さん最高!
凄惨な殺人事件のお話なのに、なぜかホッとするのはなぜだろう…
ラストシーンが特に好きです。
今更ですが、金田一耕助最悪の事件と言われる
(原作者でさえ発表するのに気が進まないとまで言った)
「悪魔が来りて笛を吹く」を市川監督で見てみたかった。
まさか見ることが出来ると思っていなかった作品で、ましてDVD化なんて考えてもいませんでした。『悪霊島』が角川の横溝映画の最後になり、それと同時上映されたこの映画は闇に埋もれ、私の手元には角川文庫版の原作だけが残されていました。私にとっては幻の作品であり、秘中の秘の映画でした。
DVDを手にして何より驚いたのが、ヒロイン役の松原留美子が男性だったということ(しかも彼は私と同じく札幌出身)。だからどうも映画を見てもヒロインにときめかないと言うか、弟との交情のシークェンスにしても倒錯した美を感じるというのではなく、「うわー」と思ってしまったのです。しかし高林監督が語っている通り、ヒロインは主人公笛二の妄想の中の姉であり、彼のドッペルゲンガーなのですから、作品全体の世界観を示すには絶妙のキャスティングなのです。原作は昭和初期のもので、まさにエロ・グロ・ナンセンスの時代の落とし子です。直接的には江戸川乱歩の『人間椅子』の構造に影響を受けていると思われますが、語り手による虚構と現実が怪しく交錯するのはアガサ・クリスティーの『アク
ロイド殺し』が典型で、日本推理小説界の2大巨人である乱歩と正史がここから影響を受けなかったはずがないと考えられます。この映画のトリッキーな世界はまさしく推理小説そのものなのです。
しかしやはりこの映画の醍醐味は、谷崎潤一郎的な耽美世界の映像化にあると言えるでしょう。これぞ大正浪漫。
中尾彬(かつて金田一耕助役をやった彼が今度は仮想の殺人者!)と吉行和子の下世話なやり取りも良い。こんな濃密で繊細な映像作家であった高林監督はなぜ消えてしまったのでしょう。もしかしたらバブル経済に突入していく1980年代において、心ゆくまで耽美的世界の映画を撮り続けていくことが出来たかも知れないのに。