雪国で知られる名文句のように、川端の読みどころはやはり感覚に訴えてくる描写にあったように思うが、この「眠れる美女」における風景描写は回想シーンで用いられる個所が何度かあったとはいえ、それほど頻度が高く用いられたわけではない。そこにあるのは老人の悲しみ、懐かしみ、罪の意識、そして破壊衝動だ。これらの起伏に富んだ感情が淡々と綴られ、読者はただその人の意識に恐怖も覚えるとはいえ、死に繋がるのであろう悲しみが、重く感ぜられて良い。こういう空間を作り出す小説は数少ないが、間違いなく傑作にしか生み出せない力である。本作は三島由紀夫が太鼓判を押したことで評価される嫌いが多いようだが、川端ファンの中でもやはりこれが最高だと評す人も多い。
何はともあれお勧めです。こういう感覚は日本の小説にしか生み出せ得ない、貴重なものであるのだから。
原作とおりに19歳の
上戸彩を意図的にキャスティングしたらしいアイドル映画(テレビ・ドラマのいわゆる特番)、
岩下志麻版を踏襲した無難な演出だが予想外によい仕上がりで驚きました、
上戸彩にたいする周囲の期待の大きさに彼女は充分答えています、上戸のまだ未熟な部分を補うために配されたベテラン達が見事に助演、
岩下版古都で成島カメラマンが実現した美しい撮影を再現するかのような撮影
スタッフの努力はとても素晴らしい、ぜひ川端康成に見せたかった綺麗さ、
1960年代70年代に良き時代の
京都(の風情)は失われた、とはよくいわれることです、たしかにそのとおりの面はあるのでしょう、しかし、年月と共に樹木の緑はより濃くなり、コケの青さはより深くなり、美観に配慮した都市の整備がさらに進んだ結果、意外に21世紀の現在ではかつての美しさを取り戻しつつあるのが現実のようにおもいます(これは何も
京都にかぎらず全国も同様)、
現在のリメイクであればこの脚本もありかな、とは思いますが、岩下版古都のファンとしては渡辺篤郎演じる帯職人の存在感が大きくなりすぎているな、と思う、演出側はそれで人間関係の単純化を目的としたのだろうとおもいますが、
岩下版では彼女の着る和服の印象が強烈ですが、本作では贅沢に上戸を着飾らせながらも和服の印象自体は薄い点に現在を感じてしまいます、
台詞が原作に非常に忠実に取り上げられている。島村の印象が薄いのも、作者の意図するところをうまく反映していたと思う。葉子の美しい声、駒子の一途さ、あだっぽさも原作か想像できるとおりである。火事の場面が、原作と少し違って、二人の恋の行方を象徴するかのような天の川が見たかった。
あなたは文藝春秋九月号に私への悪口を書いて居られる。「前略。――なるほど、『道化の華』の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭いやな雲ありて、才能の素直に発せざる憾(うら)みあった。」
『もの思う葦』に所載されたこの文章は太宰治が、
芥川賞を石川達三の『蒼氓』にさらわれた後に、『川端康成へ』と題して書簡の形で書いた
恨み節である。
「作者目下の生活に厭いやな雲ありて』と、作家の私生活を落選の理由にすることに太宰は憤怒を持ったのである。
ふたりとも自殺で生を断ったことに、心暗くする。