恥ずかしながら橘嘉智子の存在を知らなかった私は、平安時代に関する本を探している時に、この本を見つけました。また、永井路子氏の本を数冊読んではいましたが、杉本苑子氏の本は初めてでした。
上巻は、謀反人・橘
奈良麻呂の孫・嘉智子が、桓武天皇の皇子・神野王子に入内するところから始まり、神野王子が即位し平城上皇との間に、平安京と
奈良旧都で二所朝廷の混乱が生じるところで終わる。
特筆すべき杉本史観は、
橘
奈良麻呂が無様にも生きながらえていた点、
怨霊は政治的意図を持った人為的な権謀であるとする点、
藤原北家繁栄の礎を築いた内麻呂・冬嗣親子には批判的な点。
そして最も驚いたのは、藤原薬子・仲成の政治能力を高く評価している点。
通説では、妖婦と罵られた薬子と、妹の立場を利用して平城朝を牛耳ったといわれた仲成だが、平城朝の観察使の設置などは、彼らの能力の高さを表しているのかもしれない。
勉強不足の私ではあるが、薬子・仲成の能力を評価した学者・作家は初めてで、今後も杉本史観に期待したい。
この『華の碑文』は、サブ
タイトルにあるように能の大成者・世阿弥元清の生涯を、弟にあたる観世四郎元仲の目を通して描いた小説です。
父・観阿弥による「曲舞」導入による猿楽能の変革、今熊野の演能による若将軍・足利義満との出会いと寵愛による栄光、観阿弥の死と近江猿楽・道阿弥への師事による方向性の転換、義満の死による没落、観世元重(四郎の子、後の音阿弥)の栄達と対照的に息子である観世元雅・元能兄弟の悲劇、そして自身の佐渡配島。
こうした世阿弥という1人の天才の涯を、南北朝という血生臭い時代を背景にして、描ききっているように思います。
タイトルにある「華」。『風姿花伝』のほか『花鏡』『至花道』など著書の題にも示される通り、生涯「花」を求め続けた世阿弥の、まさに碑文といえる内容をもっています。先に挙げた著作の内容も、分かりやすく、それでいて内容はそのまま、作中の効果的な部分において使われていることがまた、上手いなと感じます。
印象的なのが、時流に翻弄されながらも一貫して能を追求し続ける世阿弥の姿です。美しい面だけではなく、稚児というものの闇の面も描きながら、それもまた能を追求するための手段としてしまう世阿弥。音阿弥に対しても、息子の敵として恨む心はありながらも、後継者として息子たちよりも適任であることを認め、後事を託していく姿。
特に最後。世阿弥の死のシーン。世阿弥の死は、「能」が世阿弥という個人から解放されて約600年の後の現在まで、そしてこれからも伝わっていく礎となったことがここには描かれています。