『新参者』に続いて
日本橋が舞台。水天宮あたりに詳しい人ならより楽しめると思う。
日本橋の麒麟像の下で倒れた被害者。容疑者と目される男はすぐに見つかるものの事故で意識不明になったため、簡単に終わると思われた事件が意外に難航する。だが、加賀刑事らしい、ささいな疑問も見逃さない丹念な捜査で、事件の真相が少しずつ明らかになっていく。地道な捜査で事件の全体像が少しずつ明らかになっていくさまや加賀刑事の重みのある言葉は、いつもながらではあるけれど見事で、引き込まれる。この辺の安定感はさすがだと思う。
しかし、本作の場合、読んでいて細部や設定の不自然さが気になった。たとえば、早期の解決を図る捜査本部が描いた事件の構図は稚拙で説得力がなく、加賀刑事ではなくても、それでいいのかと思うもの。事件の真相につながる、過去の事故があるのだけれど、事件内容が平凡なうえに、ある人物の動機が不自然というかよくわからないまま終わる。しかも、書かれた通りであれば犯罪になると思うのだが、だれも逮捕されないどころか、取り調べすらない。派遣切りや労災隠しもとってつけた感じで、増量剤にしか思えない。一部の登場人物は真相が明らかになることで確かに救われ、新しい一歩を踏み出すが、救われたのかどうか書かれずに終わってしまう人もいる。
タイトルの『麒麟の翼』と本作との関連は薄く、無理にこじつけた感じがするのは否定できない。
加賀刑事シリーズはミステリー部分がある程度しっかりしている上に、人の気持ちの奥深くを描くところに魅力があるのだけれど、本作は心理描写部分はいいとしても、ミステリー部分が弱いと思う。そのため、本の帯にあるようなシリーズ最高傑作とはいえない。『赤い指』の方がずっといいと思う。
英語のレベルもそれほど高くなく、楽しく読むことができました。
原作を読んだ後で見ると、少々違和感を覚える映画ですが、宮澤賢治の世界観をそのまま画にしたという感じでしょうか。セロ弾きのゴーシュとか、銀河鉄道の夜、グスコーブドリに出てきそうな科学鉱物実験など、様々な印象が散りばめられています。そして岩手の自然が本当に美しい。子供達は、イメージは悪くないし又三郎に至ってはこれ以上ないくらい印象そのままの良い素材だと思うのですが、表情と言葉が固いのは、元々原作の台詞が不自然なのと、方言を無理に標準語に置き換えているからでしょうか、村の子達が東京の劇団から来ました観がありありでよそよそしい。異邦人の又三郎はそれでいいけど、他の子たちはもう少し岩手の自然や生活、方言に馴染ませてから撮影してほしかった。あと宮澤賢治作品にはほとんど出てこない「女の子」が軸になっているのは、美少女をヒロインにして売り出そうという制作者側のありがちな狙いが見えて苦笑してしまうのですが、又三郎の異質さを浮き上がらせるには彼女の存在が大きかったように思います。又三郎が銀河鉄道の夜で言う、この世の人ではないカンパネルラに当たるとすれば、いじめられながら母親の面倒を診ていた少女はジョバンニ。そういう位置付けかなと思いました。