一の糸 (新潮文庫)
ただ一人の男を想い、そして長い年月を超え男と結ばれ、尽くし続けた茜の一途な想いに胸を熱くさせられます。
あとなんといっても注目すべきところは文楽のシーンの描写の絶妙さでしょう。私は文楽についての知識は皆無ですが、引き込まれるような文体で緊張感が伝わってくるようでした。特に三味線の件はまさに文の名人芸。
一昔前の小説なこともあり、今の時代からみてどうもそぐわない、差別的ともとられかねないような表現も多少ありますが、それもその時代の美しさ、厳しさなどを匂わせてくれます。
芸の道に生きる男と、それを支えそして人として妻として成長していく茜の人情劇。おすすめです
青い壺 (文春文庫)
まず作者有吉佐和子が楽しんで書いているのが伝わってきます。再出版されるのもうなづける傑作です。連作短編の赴きもあるので、忙しくて時間がない人でも読みやすくなっています。作者の手から離れ「青い壷」は色々な人の手に渡っていきます。そして、最期は、有吉佐和子のクスクスとした笑い声が聞こえてくるようです(登場人物には悪いけれど)。
華岡青洲の妻 (新潮文庫)
有名な「嫁姑バトル」ものです。
加恵の、於継に対する崇拝の念→憎悪に変わる過程が一気すぎると思える
ほどで、憎悪するようになってからの於継の言動に対する勘ぐりといったら、
未婚の身からしたら「少し考えすぎじゃない?」と思えるほど。
ですが、この物語が成り立つのは、二人が憎しみあいながらも
青洲と青洲による医療の進化を支えるという共通の大きな目標があったから
でしょう。
青洲・つまり夫や息子がつまらない男で、変化のない生活や家の体面のため
だけに憎みあう嫁と姑がひとつ屋根の下に暮らしていたら、救いようのない
陰惨なバトルの日々の話にしかならないと思います。
加恵と於継は、何だかんだいって戦友なのです。
青洲は、いい意味でのオタク人間として描かれています。
名誉のためではなく、かといって世間や人様のためばかりというわけでもなく、
やりたいことに対してはただひたすら寝食を忘れてでも熱中し続ける。
そしてひと段落したら、すぐに新しいことにトライしないと気が済まない。
うまく言い表せませんが、文章のリズムがよいのと中編で話があまり
長くないのも人気が出た理由ではないでしょうか。
さくっさくっと読み進められます。そのため何度読んでも飽きません。
なので、馴染みのない昔ながらの日本家屋や調度品などのことにも
自然と興味が出てきます。
いい書き手というのは、今まで興味のなかったことに興味を持たせてくれます。
それにしても、どんなことにしても偉業の裏側には醜い事実が存在するもの
だとあらためて思いました。
恍惚の人 [DVD]
『銀座カンカン娘』を見た翌日に、この作品が届いた。高峰秀子の役柄のシリアスな転換振りに度肝を抜かれた。高峰が49歳の作品だから、僕の現在と同年代になる。高峰ファンに昨今、急速に転化した自分としてはレンタルでなくて、現物を購入したのは旨い買い物をしたと自得している。庭に咲く白い花に、老父の森繁がうっとりと見入る、この作品の見せ場だと思うが、この一瞬の表情こそ題名の通りの『恍惚』の瞬間なのだ、というアピールを森繁の演技に感じた。そして健常人と自認している人々には体験することの出来ない世界、味わい伺い知ることの出来ない『美』の世界が厳然として存在し、不憫と見做されている認知症の人間にこそ、つかめる事の出来る、そういう『恍惚』に浸れる世界があるということ、認知症という扱いを受ける人々の健常人への密かな、ある種の優越性というものを表現しきったシーンと感じた。老父が亡くなったあとで、老父の孫が、母の高峰に投げかけた、ひとこと「もう少し生かしておいても、よかったね」に、高峰が慄然とした表情をする、この一瞬の表情に、嫁として、実の血の繋がった息子や娘よりも、誠心誠意、老父に深い愛情を体当たりで示してきたが、おもてには表さなかったが心の深奥で抱いていた本心、それは自分自身が一番自分のなかに存在していることを恐れていた感情、人に覗かれたくない本音というものを息子にいとも造作なく見破られていたことへの驚愕、そういう感情の襞を高峰は見事に表現している。高峰の作品の随所で見られる高峰の十八番、一瞬の表情に無限の言葉を込めるという天賦の才、これがこの作品においても、ラストシーンで十全に発揮されていた。そういう高峰ファンとしては舌鼓をことさら強く打たせてくれる作品であった。
悪女について (新潮文庫 (あ-5-19))
面白かた!
すーごいトリッキーな話の運び方で、
思わず年表など作成してまいました。笑
愛される女の秘訣を学びました。
ぶっちゃけ、吉原手引草で満足してる人は、
これ読んだら開眼する筈。。
(松井先生スミマセン。)