最初の号からすべてそろえています。たまに最初から読んでいますが、読むたびに感動と切なさで涙ポロポロです。
仮にも大企業の社長をあんなに簡単にタラシこめるのか?無理があるって。 昔のナッキーを少し彷彿とさせる。間違っていないけど強引で、明るさと情熱でなんとなく周りを納得させる…。 その辺は読んでいてある種の爽快感はあった。初期の頃のナッキーみたい。 今回はやたらと男が出てくる。みーんなナッキーが好き!そんなん有りかい…出来すぎ。自分は初期のファンで、岩崎くんが好きだから、やっぱり彼とくっついて欲しいよ。 展開が早くて疲れるけど、やっぱり目が離せない…クヤシイから☆3だ!
抱き合わせの読みきり作品が半分ほどで、本編はちょっとだけです。なんだか納得いきませんでした。そういう形で25巻を発売してほしくはなかった。わざわざ「完」とする意味はない。続編を最終章・旅立ち1巻〜に改めなくてもそのまま続けてもよかったのではないでしょうか?
ナッキーが自分自身をいたわることができずに仕事にのめりこむ姿が痛々しい。生徒や親との関係にむくわれることはあっても彼女自身ほからっぽで傷だらけ。心に深い傷を負いながらも、学園ものだった当初の元気で明るいナッキーがなつかしい。読者はナッキーの幸せを願っています。どうか一人でも前向きにがんばる!みたいな結末ではなく誰かを愛し愛され、幸せになる形で終わってほしいです。
ナッキーもヒッキー(H.U 歌手)も、AC(アダルトチルドレン→精神医学で言うところの)だと思う。自分を貫こうとする...他人に対しても真直ぐにぶつかっていく...責任感も自他共に強い...。でも、誰かを本気で愛することだけは出来ない...。なぜなら、まだ、他人を愛することを知らないから。自分を見つめて向き合って認めて前を進む道を選ぶまでには快復しているけれど、どこかで俯瞰的に愛を見つめているナッキー。同じく歌詞を読めば当て嵌まるだろうヒッキー。どちらも一見恵まれているように見えるが、心の中では、もうひとりの自分が、いつも寂しさを訴えている。どんなに愛されている人と一緒になったとしても、その心の闇と寂しさは消えない。だからこそ、初めて愛を感じたと思える相手、飛島さんに会いに行き、そこからナッキーの人を愛するという人間の本能の欲求を満たそうとしているのではないのか?作者は精神医学を意識して描いているのだろうか?それとも私の深読みだろうか?自分が今まさに、その状態にあり精神医学を学んでいる最中だから、そう思ってしまうのだろうか?私が、いつか誰かを本気で愛することが出来る人間になれるといいな...と思っているように、最終的には、やはり岩崎君と対等の立場の人間として向き合って愛し合っていくような結末を望んでいる。最後に付け加えるのは気が引けるが、一応、絵描きとして言わせてもらえば、僭越ながらデッサンが崩れるのは勘弁して欲しい。あと髪型や顔立ち・身体とのバランスの描き方の区別が相変わらず下手なのと、そのファッションセンスは如何なものかと思ってしまうのは、私だけだろうか...。せっかくのストーリーが台無しになってしまう感じがするのだが。
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