埋蔵金男、小泉改革のスタッフでありながら、元財務官僚である著者が簡単に金融政策を説明するという本です。
金融緩和こそが日本経済を救う処方箋とのことで、だいたい他のレビューで書かれているとおりのことが内容です。
この本、金融について非常に読みやすく、また、官僚マインドについてもわかりやすく書かれているため、一読するだけの価値は十分にあると思います。
日本の場合、やっぱり、円を少々安くする必要はあるのではないでしょうか。
そうなると、やはり、金融緩和し、円の価値を下げる必要があると思います。
それと、やはり、名目賃金が上昇した方が、デフレで実質賃金が上昇するより心理的にはいいと思います。
読みやすい本なので一読してみてください。
ベンジャミンフルフォードさんの話は、非常に論理的で、読む人を納得させるものです。この本を読むことで、今の経済情勢にかなり明るくなるものと思います。思わず、試験勉強もしないで読破してしまいました。 話の内容は、現在なぜ円高になるのか、という点に尽きると思います。また、この背景にはある国際的な金融資本が関係しているという点もだんだんと分かってきます。外貨投資・中国株などを実践している人にも読んでもらいたいです。
最近、著書が乱立気味のように思えるが、おそらく著者の頭の中には最初からストーリーができあがっているのだろう。一気に書いたものは、読者を一気に浜矩子ワールドに引き込む。
ソブリンリスクは、もちろん今や欧州だけの問題ではない。 日本はたとえれば「アリさん国家の内なるメタボキリギリス」。
「日本国債が売り込まれ価値が暴落すれば、政府は赤字国債をもはや発行することができません。たとえ引き受けてがいたとしても、政府は、金利上昇による利払い負担に耐えられなくなるでしょう。 〜中略〜 こうして、行政機能がまともに動かない状態に陥る。このような事態がすぐそこに迫ってきているということです。」
著者は単に読者を煽っているのではない。冷徹な分析の上たどり着いた結論は、いずれ現実になる、と私には思える。
筆者の野口悠紀雄氏は、金融緩和反対論者として知られる。 先日 (1月20日)のNHKの日曜討論では、安部政権の経済分野のブレーンである浜田宏一内閣官房参与と金融緩和の是非について熱い議論を闘わせたことは記憶に新しい。 本書発売時点 (2月1日)においては、アベノミクス効果で株価が上昇するなど景気回復期待が高まりをみせており、若干旗色が悪い。 「はたして、財政破綻は回避できるのか?」 将来、日本の経済史を振り返ったときに、歴史の転換点である可能性が高い「今」読んでおきたい本である。
本書の内容については、「はじめに」で述べているように以下の3点に要約される。 1)これまでの金融緩和策は実体経済を活性化できなかった 2)日銀引き受けで国債を発行すればインフレになる 3)日本経済活性化は構造改革によってしか実現できない
1)と3)については、これまでの著書で散々述べていたことなので目新しさはない。 2)の「財政規律弛緩の危険性」こそが筆者が本書で強く主張したい部分なのだろう。
本書の主張には、図表がふんだんに盛り込まれており、緻密な論理構成に全くの隙はない。 ただ、かなりコッテリとした内容で、精読するには、読み手に「ある程度の経済学の知識」と「根気」を要求する本でもある。 このあたりの緻密さは、工学部機械エ学科卒という経済学者にしては異色の経歴を持つ筆者ならではのものなのだろう。 経済分析に関しても、効率的市場仮説を支持することなど「均衡点をべース」としたエ学部卒ならではのメカニカルな切り口であることがうかがえる。 こうした切り口は、洗練された頑健な強みを持つ一方、現実の経済活動には、バブルの発生等、均衡点から逸脱した現象がしばしばみられるなど、人間心理が反映されておらず不完全な部分も多い。 金融緩和推進論者の論拠のひとつがこれで、「期待の自己実現」により実体経済が回復するというのだ。(一方、野口氏は国債暴落という「予想の自己実現」の可能性を指摘する)
野ロ氏が財政危機の危険性を訴え始めたのは、知り得る限りでも『財政危機の構造』 (198O年刊)頃からで、既に3O年余りの時が経つ。 その間、バブル発生、バブル崩壊、その後の失われた20年と波乱の経済ではあったものの、幸い、財政破綻というところまでは未だ至っていない。 本書の中で野口氏は以下のように述べている。
本書執筆時点ではどうなるかはっきりしないが、政府と日本銀行の政策協定が結ばれる可能性は高い。そうなれば、日本がハイパーインフレに突入してもおかしくない。(P220)
その予言どおり、政府と日本銀行は22日、2%のインフレ(物価上昇率)目標を明記した「共同声明」を発表した。 はたして、野口氏は「オオカミ少年」なのか、あるいは「炭鉱のカナリア」なのか。 その答えが出る日は近くなっている。
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