週末にクリ-ムソーダに出かけた高校時代が蘇る。グリース、コーム、ラバーソウル、ロックンロール、時代の寵児達はこんなであったかという核心に触れる事の出来る貴重な一冊の本だと思う。
「三島『金閣寺』→村上『コインロッカー・ベイビーズ』→そしてこの小説」という帯のコピーであったので、思わず手にとってしまった。 かなりおもしろかったが、でもそれは、このコピーとはかなり違う面でだと思う。自分なりに柳文学を考えるに、それはほとんど壊滅的に壊れてしまった 現実に対し、ほんとうは迸る感情を放出させたいのに、それをうまく放出させることのできないナレーターたる主人公の目線を通して語られるリアルな物語だと思っている。そうして淡々と進む「壊れ」の物語に、読者は奇妙なカタルシスを感じてしまう。それが柳文学の真骨頂じゃないだろうか。 少年、兄、姉、父、少女たちらの人物造詣は、あきらかにそんな柳美里的キャラクターだし、たとえば、兄のピアノをBG!Mに、少女と交わす少年の不器用なやりとりのシークエンスなどこそ柳文学的光景だと思う。すごく演劇的でおもしろい。 なんですが、いわゆる現実の荒れる少年の心理物語風、あるいは時代の象徴的なエキセントリック少年の青春物語風にこの本を語ってしまうと、逆に全然リアリティないんじゃないか? 人を殺したいと思うことと、現実に人を殺してしまうことの間には、やっぱり雲泥の差があるはず。淡々と物語を見ることしかできない柳文学の主人公には、人を殺したいと思うことはあっても、あるいは暴力を振るうことはあっても、殺すことは絶対できないと思うし、衝動的に働いた殺人であればあるほど、動揺は隠せないんじゃないのでしょうか。どれほど傍目に平然と見えたとしても。 だから、個人的には、少年の父殺しの場面も、どうしても不自然としか見えなかったりするんですけど...。それとも、これは、現代文学的レトリックのもとに意図的にこう描かれていたりするの?これが、柳文学的「殺人」なんでしょうか?よくわかりません。
アメリカ西海岸で桁違いの成功者を生んだゴールドラッシュ、 そしてシリコンバレーで成功した起業家たちのストーリーと、その成功のカギ について書かれた本です。
その中でもポイントとなっているのは、スタンフォードというゴールドラッシュ での成功者と、彼が作ったスタンフォード大学から巣立っていった起業家の話です。
アメリカ型の成功者という意味では、金融業界でも数多くいまずが、そちらの話は カバーしていないので、タイトルはどちらかというと「アメリカ型起業家の成功物語」 というほうがぴったりかと思います。
彼自身がスタンフォードで教鞭をとった経験から、単に歴史をなぞるだけでなく、 どういった街なのか、どういった生活をしているのかなどに触れることができ、 シリコンバレーで挑戦したい、あるいはいつかは起業したいと思っている日本人に とって面白く読めるでしょう。
そうでなくても、未開の地で生活を築き、財産を築き、そして大学まで作ったチャレンジ 精神が、今尚世界に誇る企業家の地として世代を超えて受け継がれていることは、 感動を覚えるでしょう。
IT業界に関しての記述は、少し前に出版された本なので、少々古い感じもしますが、 変化の速い業界ですから、これは仕方ない。 それでも、野口センセが得意な、非常にマクロな視点からとらえて新しい見方を 提示するという点においてはとても学びのある本だと思います。
流れるようなテンポでリズミカル。 聞いているとなんか落ち着く。
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