アフリカに何十年間、何十万人の「難民キャンプ」が存在し続けていることは、現在の人類社会において何を物語っているのだろうか。 私は第二次世界大戦時満州開拓団からの避難民の1人だった。戦争で敗戦国民として戦勝国になった植民地に放置されていた“難民”というちがいはある。 私は、難民キャンプとは、歴史的にも地域的にも一時的に存在する一時的な閉鎖社会と考えていた。 しかし著書を読んでみると、私の常識的な認識は根本的に間違っていたのではと思うようになった。 事実、これらキャンプに生まれて成人した若者がいる。子どものころやってきて、すでに人生の半ばを過ぎてしまった者もいる。結婚すれば5〜6人の子を産み育てるのが普通だ。 しかし、その住民の世代はちがっても、過去は闇で未来も暗い。過去に自信(安心)をもてずまた希望もいだけない。こうした社会とそこに生きている若者たち。私は日本においても、こうした心境にあり、個別には「生まれてこなければよかった」「希望をもてない」という若者は少なくない。 日本の若者のおかれた情況は、40万の難民キャンプより、もっと過酷な“情況”をつくっているのかもしれない。広大なアフリカの砂漠ではなく、砂漠以上に乾いた家庭の中や小さな村に閉じこめられている者が苦しんでいる。 この苦しみの末、つかみどころのない底なしの蟻地獄のような“社会”への恨念や恐怖から無差別殺人を犯してしまうような“青年”があとをたたない。 “難民キャンプ”はこうした日本の社会での個人に極限的におそいかかる理不尽な社会システムに比べれば、人口が多い分だけ薄められているだけで、現在の人類社会のどこにでも社会に闇として生産されているモデル的な存在ではないかと思えてならない。難民キャンプの解放こそ、現代社会の闇に一余の光を与え、世界中の若者に一筋の光を与えるものになるのではないかと思う。 若い著者がこの難民キャンプの中に飛び込み、微力ながら悪戦苦闘をしつつ、ここに住み続ける人たち、若者たちと絆をつくったことに感動した。
色々な人の仕事に関するエピソードを紹介していく本です。 今までこのようなタイプの本を読んだことがなかったので 勉強になりました。
勉強になったというのは、ずばり色々な仕事に対する価値観があり 人それぞれである、という当たり前のことを、すごく実感出来たからである。
日本では特に仕事をしない人はダメ人間であり、一度レールから外れた物は 這い上がることは出来ない、そんな閉塞感があると思います。 本書はそんな固定観念を払しょくしてくれる可能性があります。
詰まるところ、仕事なんて人それぞれであり、なにが正解か?なんてことは その人しか決めることが出来ない、ということです。
これは仕事だけではないですが、人はとにかく「無いものねだり」をする生き物だと
激務で高給な人は、こんな人生は嫌だ。もっと人間らしい生活をしたい。 低給だが緩い仕事の人は、もっと人生を捧げられる仕事をしたい!こんな生活いやだ!
とはいえ、転職によって素晴らしい人生を手に入れた人も多くいます。 人生の転機にじっくりと読んでみたい本であります。
新入社員教育に手を焼いている人事担当者や上司の方は多いです。そんな新人への対処法を考える上で、とても役に立ちます。人は、「言葉」に反応し、その意味が解けなくて悩みますが、その辺が理解できます。また、新人の立場からも何がいけないのかを探るきっかけとなると思いました。
起業の経験はありません。 今後も起業する予定もありません。
知人に進められて、あまり期待せずに読んだのですが、 疾走感のある文章で、マンガを読んでいるかのように一気に読んでしまいました。 (あと起業家精神とは〜みたいな押し付けも無いので安心して読めました。)
起業することの動機、起業する上で必要なテクニカルな要素、が書かれているのですが、 会社勤めをしている自分としては、普段意識していない領域に踏み込んだ気持ちになりました。
会社員として仕事をしていく上でも、 この本に書かれていることを知っているか知っていないかでは、大きな差が生まれそうですね。 もう少し若い時に読めばよかったです。 (ちなみに私は30代男です。)
喜多川さんの本は、本と出合えたご縁に感謝せずにはいられない本ばかり。
3冊目の手紙屋につづくこの本では、「勉強すること」について深く考えさせられます。 ああそうか、そうだよね、と主人公の和花ちゃんと一緒に、自分も考え、 同じように、もしかしたら、ちょっとは違うのかもしれないけれど、心が変化していく ことができます。 学生時代に出逢いたかった本ですが、今でもここから学ぶことは沢山あります。
本当に読んで良かった、この本に出合えてよかったです。ありがとうございます。
手紙屋とセットで是非読むことをお勧めします♪
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