ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争最中に起きたジェノサイドについて、我々はどれだけの知識を持っているだろうか? 1995年7月、ボスニア東部の小さな町、スレブレニツァはセルビア人共和国軍の攻撃に遭い、あっけなく陥落したが、その際におよそ7500人のムスリム人男性(ボスニア人)が行方不明となり、その内6000人は組織的に殺されたと見られている。
本書は、まずそもそもジェノサイドとは何か、その定義をめぐっての歴史的背景から書き起こす。続いて、スレブレニツァで実際何が起きていたのか、背景となるユーゴスラビア紛争、1995年当時のスレブレニツァを巡る政治的、地政学的状況を解説。その上で、第2次大戦以後欧州で最大の虐殺と称されたその虐殺劇(ジェノサイド)を、時系列的に丹念に追う。更に、スレブレニツァの虐殺をポスト冷戦期に起きた他の2つの、ルワンダとスーダン(ダルフール)を舞台に起きた(起きている)ジェノサイドと比較、その異同を考察。最後にジェノサイド予防に何ができるかを考察して締めくくられる。
このスレブレニツァの虐殺は、セルビア軍による組織的凶行であったが、特異な点は、国際社会からの介入が虐殺と同時並行的にあったこと、そして、国連のプレゼンス(オランダ軍を主体とした国際連合保護軍:UNPROFOR)が虐殺に巧みに利用されたことにある。セルビア軍はスレブレニツァ陥落にあたり、男性のみを分別して隔離し、ジュネーブ条約に基づいて取り扱うと言った言葉を弄してボスニア人と彼等を保護すべきUNPROFORを油断させた上で、極めて組織的に殺害を実行した。セルビア側は、UNPROFORオランダ隊の制服を着、そのパトロール車両を用いて、隠れているボスニア人に投降を呼びかけることさえしたのである。
読み進むにつれ、この虐殺に対して、十分な支援を受けられなかったUNPROFORが如何に無力であったかに失望を禁じえない。ルワンダにおけるジェノサイドもそうだが、実行すると強固に決意した存在(スレブレニツァではセルビア側)を前にした時、国連のプレセンスというのは必ずしも効果を持ち得ないのである。
尚、元々が博士論文なだけに、冷静な筆致、得られる情報を十分吟味して不明な点は不明としつつも、自らの仮説を展開する、その検証過程はまるで科学論文を読んでいるかのようで、本書の内容の確かさが察せられる。そのように学術的でありながらも記述は緊迫感に溢れ、大著にも関わらず不謹慎な言い方をすれば、退屈を感じない。また、著者の立場としてはあくまでも客観的立場を貫いており、なぜスレブレニツァでセルビア人による虐殺が起きたのか、必ずしもボスニア人側を一方的な被害者として記述していないことも付け加えたい。虐殺以前に何もなければ、やはりこのような事態にはなっていないはずなのだ。
唯一不満に感じたのは、何故このような虐殺を人間が起こしうるのか、それは人間の持ちうる生得的性質であるのか、という疑問には答えが用意されていないことである。それが本書の守備範囲を超えることであるのは重々承知しているが、どうしてもその疑問を感じざるを得ない。
ちょうど、今年はスレブレニツァのジェノサイドを主導したセルビア人指導者、ラトコ・ムラディッチが逮捕された。今後国際戦犯法廷によって裁判が進められるであろう中で、本書を読んで予備知識を得てはどうか。
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