オーストラリアを中心に博打で生計をたてている「日本人」が、「日本人」のヤクザとの出会いをきっかけにして起こるいくつかの型破りな出来事を経験しながら、「日本人とは何か」について考えていくという、読みながらおそろしく元気の出る本。
私たちは普段気づいていないが、日本国内にいる限り、「日本人のように見える」ということは、温かい毛布のようにやさしく守ってくれるバリアに包まれていることだ。しかしそれは、国内にいる「日本人のようには見えない」人を排除する空気を醸成することにつながっている。そしてその空気は、特定しようのない「日本人」という暗黙の了解の幻想を強化し、鋼鉄のバリアとなっている。
著者のように、国家に守られる必要のない者は、そのバリアは非常に息苦!し!いものでしかない。だから、日本に戻ってきても数日でやることがなくなってしまい、結局すぐに外に出ることになる。このつまらないバリア(境界)が必要なのはいったい誰なのか?
それを著者は、博打に勝つための方法論とカルチュラル・スタディーズの裏事情などを共存させながら説いていく。酒井直樹や西川長夫やベネディクト・アンダーソンらを賞賛とともに引用し、小林紀晴のダメさ加減によって笑いを取る。その他、何人かの知識人がこの野人のような人物に料理されていくのは圧巻だ。
しかし、博打に興味がなくても、「カルチュラル・スタディーズって何?」という人でもまったく問題ない。著者の「無境界」な行動と豪快なウィットに必ず満足することができるだろう。