短篇4作が収録されているが、何度も何度も繰り返し読んでいるのは「楢山節考」。読み方はいつも異なっていたが、いつ読んでも思うのは、何度読んでも、どんな読み方をしても圧倒されてしまう小説ということ。
最初に読んだのは高校生の頃。今から20年以上前のことだ。
ただ、ひたすら恐ろしい小説だと思った。辰平が母親のおりんを背負って山を登る途中の描写、辰平がおりんを岩陰に捨てて山を下り始めたときの描写(ほんの数行の文章だが)、辰平が山を降りる途中で見た銭屋の又やんが捨てられる時の描写など終盤はとにかく恐ろしかった。カラスの鳴き声が耳から離れなかった。
解説に倣ってアンチ・ヒューマニズムの小説として読んだ(読もうとした)こともある。
日本のムラ社会の閉鎖性を描いた小説として読んだ(読もうとした)こともある。
一歩進んで、村人が「神」と信ずるムラ社会の掟に縛られる哀れな姿を描いた小説として読んだ(読もうとした)こともある。
ただ、こう読んでしまえば、おりんを山に捨てながら一旦は彼女のところへ引き返した辰平も結局のところはムラの掟に縛られている哀れな人物と捉えることになってしまうのだが・・・。
単純な親子愛を描いた作品として読んだ(読もうとした)こともあるが、お涙頂戴ものとしては読めなかった。舞台設定等がそれを許さない部分もあるが、それ以上に、この作品全体に漂っている、著者の人生に対するある種の諦観みたいなものが感じられるからだと思った。
著者深沢七郎がおりんに「神」を見ているのだろうか、と考えたこともある。ムラの掟に何も疑問を持たず嬉々として山へ向かう準備を進めるおりんの姿は滑稽ですらあるがその中に強さを感じる取ることもできるし、山の岩陰に捨てられたおりんが一身に念仏を唱える姿、そして引き返してきた辰平に手を振りながら無言で「山を降りろ」と訴える姿は神々しささえ感じさせるからだ。
何年か振りに読んでみたが、結局のところどう読めばいいのかという自分なりの結論は出せなかった。これからも出せないような気がする。
当時、この本の存在は承知しておりました。しかし、読んだことはありませんから、内容についてはわかりませんでした。キンドル版で読ませていただき、なるほど当時としては物議を醸すに十分な内容だと思います。この文章を書いた作者の気持ちを知りたい。
深沢七郎の原作本を元に、今村昌平監督作品と木下惠介監督作品とが存在しています。但し、この2作品はかなり監督の狙い等が異なり心象が大きく異なりますので、ぜひ両作品を比べて見て頂きたいとも思いますし、またそれだけの価値もあろうかと思います。ここでは、敢えて片方しか見ないであろう方へのご参考になれば、、と思い、所感を記載してみました。●人間の本性・業・性(さが・せい)、過去の貧しい凄惨な農村の実態を本音で見つめたい場合&考えたい場合;⇒何と言っても今村昌平監督作品となります。当時の貧しすぎる奥深い農村は、余りにもリアルであり、
緒形拳、坂本スミ子らの演技も光る!!但し、時に性(せい)を少々これでもか的に、あるいは少し動物・昆虫に置き換えコミカルに描き過ぎているのが悔やまれる。ところで、本の原作に感動して、親が子供と一緒に この今村昌平監督作品を見たりすると、大慌てするシーンが続出しますので要注意!これは大人が見る作品と割り切るほうが良いでしょう。逆に、子供に当り障りの無い作品として見せたい場合は、木下惠介監督となります。但し、先に本の原作を読ませておかないと、木下惠介監督はイマイチ深い理解が得られないような気もします。木下惠介監督は、はっきり言ってとてもマイルドなのです。歌舞伎的な流れの中で、背景画像も幻想的で、柔らかい御伽噺的な形、いつも根底に流れるエグイものには触れないでおこうとする優しさ(?)、、。最後に近いシーンで、同じ村のせがれが親を谷に落とした後、原本には無い、せがれも谷に落とされる一種の勧善懲悪的な付加内容には少々苦笑してしまいましたが、、。書いているうちに、今村昌平監督作品の良さの方が目立つ記載になってしまった感がありますが、ご参考にしてください。