この映画始めて見たのは中学3年生頃かな?母親が借りてきたDVDをこっそり見ていました。(見るなといわれたのですが…)
低評価している投稿者をみると死にリ
アリティーがないとか作る意味がないとか青少年に悪影響などが書かれていますね。
当時の自分がこれを見たとき、自分と同世代の人間が次々と死んでいくことに心底恐怖感をおぼえました。自分だったらこういう状況でどうするかとか妄想しましたけど、だからって危ない行動に走ったり危険な思想に興味を持ったりなんてことはありませんでしたよ 笑
大人になって改めて見直すと監督は思春期の子供達に見てもらうための映画を作ろうとしたんじゃないかなあと感じました。
生徒達が死ぬ毎に映像から切り替えてテロップ?を出して遺言を表示したり、北野の最期もわざわざあんな演出したのはメッセージを強調したかったからだと思うんですよね。最後も簡潔で強烈な言葉で締めくくっていますし。命をぞんざいに扱われてしまう内容だからこそ、生や死について深く考えてほしいという想いが感じられました。
自分は映画よく見るんですけど邦画は甘ったるいものが多くて(好きな映画もありますが)似たような印象の映画が多いのが残念です。こういう問題作もあっていいんじゃないでしょうか。一映画ファンとしていろんなジャンルを今後も見ていきたいです。これは社会にとって害悪だから規制しようなんて風潮は日本映画をつまらなくするのではないかなと危機感を感じています。
単なるユートピア物語、またはその反対のディストピア物語に陥ることなく、論理的説得力を持って機械とヒトの「関係」を模索した小説のリストを作るならば、アシモフ『われはロボット』を嚆矢として、ディック『アンド
ロイドは電気羊の夢を見るか?』、ホーガン『未来の二つの顔』などの
タイトルが並ぶだろう。その末端に是非とも加えたい作品。連作短編小説の体裁で、各話で語られるエピソードが珠玉であると共に、全話を貫くテーマも独特である(「機械とヒト」という対立に縛られなければクラーク『2001年宇宙の旅』などが思い浮かぶが)。
また、『アイの物語』とは微分すれば、「私(=I)の物語」であり、「AIの物語」でもあり、「愛の物語」であるだろう。つまりは「自己意識」についての語りであり、かつ人工知能についての語りでもあり、この二者についての「人工知能は自己意識を持ちうるか」というあのスタンダードなテーマに付いて意欲的に取り組んだ作品ともなっている。そして「愛」とはそうした「自己意識」同士の関係性である。「対自」「対他」の二様の意識のあり方が折り込まれた見事な
タイトルだ。
特に第6話「詩音が来た日」は、この一編を持ってしても凡百の小説を凌ぐ出来映えであり、同一テーマにおいてこの小説を凌ぐものはこの先しばらく出ないのではないかと思うほどの傑作。
エアバンド受信を自宅でする為に購入しました。神奈川県の県央地域に居住しており自宅の屋根上にテレビアンテナポールの一番上に設置し5D2Vケーブルで室内に引き込みプリアンプ経由でアル
インコの受信機にてワッチしております。正直言ってディスコーンアンテナなんて…と思っておりましたが、エアバンド専用という言葉は伊達ではなく、羽田のほぼ全ての受信が可能!という優れものでした。屋根上にはもう一本、144MHZの5エレスタックを上げ、このディスコーンと比較してみたのですが、なんと5エレスタックより羽田の受信感度は、このディスコーンの方が上でした。ディスコーン、侮るべからず!。とても満足しています!。
この快作(怪作)をこれほど多くの人が支持しているとは。新作として公開された当時はまったく評価されず、興行的にも惨敗だったと聞きますが30年たってやっとこの作品のすごさに気がついたということでしょう。あまりにはまり役の豪華キャストには敢えて触れませんが、ただひとり朝比奈麗子役の山本由香利についてのうんちくを。この作品の公開から約半年後に王貞治選手が通産756号本塁打を記録します。記念のフラワープレートは試合後のセレモニーで王選手からそのご両親へプレートが進呈されたシーンはよく知れれていますがプレートをホームイン直後の王選手に贈呈したのはなんとほかならぬこの山本由香利嬢その人でありました。この世紀の一瞬のプレゼンターを勤めるために後楽園球場へ5日間通ったそうです。当時18歳、756号を被弾した投手、鈴木康二郎さんは今でも「王に756号を打たれた鈴木投手」と紹介されますが彼女のことを覚えている人は果たしてどれくらいいるのでしょう。
豪華キャストに忘れられがちな見所ではあります。この時代の漫画も映画も貧乏描写はすごくリアルなのに対してセレブの描写はいかにもステレオタイプです。このあたりがいつから逆転してしまったのか?それが逆転してしまったあたりからフィクションの面白さが色あせてきたように感じています。タイアップがあからさまなカットが散見されますがここまでやられると何故かシュールに思えてきます。とにかく天才、鈴木則文の仕事をとくと見よ!