電子レンジで温め中に焦げそうになったので途中で出してみたら中がまだ冷たかった。
この商品は周り焦げるほど温めるのが正しい調理法なようで、焦げるのを恐れずに温め切ると美味しくいただけました。
帯に「ナボコフ、カルヴィーノ、ボルヘス......、すべての原型がここにある」とあり、メ
アリ・マッカーシーというクレジットが入っている--これは当然、買い!と判断してもおかしくないはずです。
実際に読んでみると、メタフィクションではあるけれど、そんなに新規でも奇妙でもないような...たぶん1920年代って、モダニズム最盛期だし、こういう作品が書かれても珍しくなかったんじゃないかと推測できます。
それでも、面白いことは面白いです。
自国とその国民への揶揄と愛着など、むしろチャペックあたりを思わます。
スペインという国柄、エキセントリックな人物が描かれておかしくない風土 なので、他国人にはよけい魅力的に映る分得をしているかもしれません。文学史に足跡を残すようなものではないけれど、90年後に読んでも楽しめる作品ではありました。
なのに偉大な作家たちの原型だなんて言うから、こちらの期待がいやがうえに大きくなってしまう。しかも巻末のメ
アリ・マッカーシーに よる跋を読むと「原型」だなんて言っていないし...(実際にはこれら作家と自分好みのスタイルだという類似性があるという意味の内容です。)
下手な持ち上げ方をすると、贔屓の引き倒しとか、ほめ殺しになるということを、出版社と翻訳者は気がついてくださいね。
著者は、1952年生まれ、多摩
美術大学教授で版画家の西岡文彦。
(2012.10.20 発行)
内容は、
ピカソについて、その時代背景とともに“偉大さ”を説いた芸術論。
ピカソ系の本の中ではとても納得のいく、満足度の高いものだった。良書。
1.この絵は本当に美しいのか?
2.見る者にそう思わせる絵が、どうして偉大な芸術とされるのか?
3.かりに偉大な芸術としても、その絵にどうしてあれほどの高値がつくのか?
4.
ピカソのような絵であれば、誰でも描けるのではないか?
5.そういう絵を偉大とする芸術というものは、どこかおかしいのではないか?
6.そういう芸術にあれほど高値をつける市場も、どこかおかしいのではないか?
7.芸術家は、なぜそれほどモテるのか?
8.芸術家には、なぜそこまでの自由が許されるのか?
この全ての問いに断定的で、納得のいく解答を本書はもたらせてくれます。
ピカソの考えを紐解いてゆくと、アンディ・ウォーホル、村上隆やココ・シャネルたちとある意味で同じ考えを根底に持っていることに気付いた。
そもそも“良い絵”とは何なのか?色彩がきれい?目で見るようにリアル?それはブルジョアが与えた一定の見方に過ぎず、“良い絵”の視点は他にもある。
ピカソは時代の変わり目の間隙を突いて、絶妙なタイミングでパラダイムシフトを起こし、莫大な富を得、“
美術館に収蔵される絵”を目指した。
ただ自分が“良い”と思うものを作るのではなく、世の中が今何を求めているのかを帰納法的に導き出し、成功した
ピカソは「本当に偉い」。
───画商や批評家といった専門家に対して、絵画の未来を担う「前衛」として
ピカソ自身の立場を知らしめ、ゆくゆくは
美術館に入ってしかるべき芸術の担い手としての認知を確立することの方が、はるかに大切だったからです。(p.124)