この書は 6歳のとき、奇跡的に生き残れた男の遺言状である。 母の危篤状況の報を知らされ、原爆に対して「鬼」となった、男の最後のメッセージである。
6歳の子どもの 細胞の全てに きっちりとしみこんだ原爆投下の体験。 母の危篤を きっかけに 彼は 自己の細胞の隅々まで 存在し続けた 記録を 外に向かい 表現し続けるしか 生きることはできなくなった。
ペンで 詳細に 正確に自己と周辺を 描き続けた。 視力を白内障で失い マンガを 描けなくなってからは、 言葉で 伝え続けた。
6歳の少年は きちんとした 完成した 生き物である。 自己の身体にこのように アメリカ国が 政治的に 広島に原爆を落下させたこと。 その実態をここまで語り続け 原爆投下という事態がいかなる事態をおこすかを ここまで 詳細に 記録した作品は二度とでてこないであろう。
人類は、いや地球という 星が はじめて 体験した 貴重きわまりない 記録である。 こんごも この作品を超える 作品が 登場するとは 想像できない。
原爆を絶対にゆるせないと 母の危篤状態を契機に『マンガ』という表現媒体で 詳細きわまる 記録を 残した。
貴重な人類のおこした犯罪を、 膨大なる マンガとして 第三次元の表現方法で残した。 彼は 白内障で絵が描けなくなった後は、語り部として 生ききった。 自己の生きた被爆者としての体験を、詳細に描き続けたけ 母の死を契機生きぬいた。 マンガの可能性を追求し続けたというべきか。 自己の被爆した生きもへのとしての体験を よくぞのこしてくれた。 かれは、肺がんとなっったが その活動をやめなかった。 「原爆への 怒り」を 訴え続けた。 人類という 生きものは ときに 奇跡がおこすのだ。
かれほど 原爆状況を 詳細に 体内化した 生きものは あらわれることはないであろう。 原爆を 記録として 残し続け 最後まで 原爆という兵器への「怒り」を残した人をみたことがない。 ありがたい。 かれが、『はだしのゲン』を 描くことができなくなって、あちこちで講演し続けるという行為を行えたのは 彼という 偉大なる 生きもののゆえか。 まさしく、奇跡である。 苦痛であったのか。 彼には このような 生き方が 宿命づけられていたのか。 もはや、われらは 彼のような 生きものに 会うことはできない。
冷静 沈着に 私たちに このように 地球史上 初めて 人類という生きものが行った行為を「怒り」をもって語りつづけてくださった 中沢氏に 感謝します。 ありがとうございました。
最後に蛇足。
『遺書』を出版するという行為は独自な意味があるのか。 いつも 特徴がある。 まず 活字が巨大である。文と文の行間がひろい。 老眼の人間にとっては 一瞬 自分の視力は特異なる回復したのかとおもってしまう。
松田道雄もそうだった。 みごとな『遺書』を残してくれた。 『安楽に死にたい』(岩波書店)
中沢氏も 実に みごとなる 『遺書』を 私たちに 残してくれた。
この書を 読んで 感じることを何回もいう。 第一に 6歳の生きものの体験は こんなにも 正確に 緻密に 人の身体の隅々まで残ルという事実である。
文学や 他の映像作品では この 生々しい生きものの 哀しい 温さは 伝わらない。 これは 確認というべきか。わたしにとっては「おどろき」である。
第二に、「中沢氏の母の 強さ」である。 中沢氏の 母は 強かった。 敗戦後、未亡人となった女性たちは、様々な生き方を選ばされた。わたしは中沢氏の母のような生き方を選んだ人を敬愛する。
第三に、決意して 描き始めた『ピカドン』を自己の自伝として 『マンガ』として 予想もせぬ方法で 描き上げた。 中沢氏の すさましい、粘りと さらに、それを具体化した 彼の 想像もつかぬ強さである。 これは、彼が 神にあたえられた「天の才能」(天災)としかいいようがない。
諸氏よ。 『はだしのゲン』を 大切に大切にして そして 彼の、いや彼が 亡くなった人と共に伝えた物語を 再発見してみましょう。ひきついでいこう。
中沢氏は 最後まで 私たちに 期待をし、2012年12月19日 亡くなった。 ●ありがとう 中沢啓治氏、 私たちは あなたのような人により 具体的な 緻密な 『原爆』というものの こわさを 確実に 知ることができる。
さあ、わたしは、これからも、『はだしのゲン』をわが身体に染み込ませます。 さあ、生きていくぞ。
2時間弱で読み終わった。それ位引き込まれる内容だった。 カープ設立前夜から昭和50年の初優勝までの話だが、いかに市民から愛されている球団かがよく分かる内容だった。初優勝のシーンなどは涙なしではいられなかった。(生まれてから今までカープファンなので)
最近、中沢啓治さんの作品について議論が絶えないが、個人的な意見を言わせてもらうならばとにかく一度読んでみて、表現等に嫌悪感を感じたら読まなければいい、読む前から興味を示さなければそれでもいいというのが、当方の考えです。
ヒロシマの記憶の鮮やかな記録であり、その風化への警鐘である本編の見事な出来映えはもちろんだが、特典映像の同じオカザキ監督によるドキュメンタリー、「928発の閃光−アメリカ核実験被害者は今」には、まさしく息をのんだ。
まるで、いまの日本がこの再現劇であるかのような既視感に襲われずにはいられない。政府がラジオ(いまはマス・メディア全体)から垂れ流す「大したことありません」の「安全神話」を信じて、数年後、数十年後につぎつぎと発病し、障害を持って生まれ、放射能の犠牲となって行く市民、そして兵士。また冷戦(いまは「復興」か?)の大義と「ソ連の脅威」(いまは「風評被害」?)のために声を上げられない人びと。
これを過去の物語、と片付けるわけにはいかなくなったことは痛恨の極みだ。「歴史は繰り返す」ということわざを苦く噛み締めさせる一本であり、こちらだけでも購入する価値あり、と断言したい。
原爆の心身に与える後遺症に怯える人々を取り上げた短編集。 原爆投下から数十年たっても被爆者の苦しみは全く緩和されることなく、深く心や身体にに消すことの出来ない傷として残っているばかりではなく、この子供達も被爆者二世として苦しむ姿が描かれている。 子供にはややショックな内容かもしれないが、被爆国として忘れてはならない現実ということを認識させる必要はあろう。
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