「
鹿鳴館」について書こう。私の印象に残ったのは、園丁が庭に美しい花を咲かせえるのは、園丁の雇用者への憎しみの結晶である、という認識である。〈園丁〉を〈芸術家〉に、〈庭〉を〈作品〉に、〈雇用者〉を〈社会〉に置換することが可能ではないか。三島は醜い〈社会〉を覗き見続けた。醜さへの憎しみが彼に〈美しい花〉を〈作品〉に定着させえたのではないか。このように考ええるならば、三島と太宰との接点が見えてくる。
太宰は、どこかで、〈復讐の文学〉ということを言った。と私は記憶している。また、「富嶽百景」における富士と月見草との対峙は、捕捉しがたい〈世間(闇)〉と、〈芸術作品(光)〉との対峙の象徴ではないか。月見草は、「富嶽百景」において〈金剛力草〉と形容されていた。〈金剛〉から連想されるのは、作中にも登場する〈金剛石〉つまりは、ダイヤモンドである。ダイヤモンドは宝玉である。太宰は〈世間〉という闇を、自身が創造した文学という美しい宝玉(光)によって、照らし出そうとしたのではないか。それが、彼にとって醜い〈世間〉に対する〈復讐〉だったのではないか。太宰が映画を好んだのは、闇の中で繰り広げられる物語に、光(希望)を見出したからではないのか。闇は象徴的な一つの死であり、光は、生のエネルギーだ。「惜別」における「周さん」も闇の中で幻燈を見た。それが彼に文芸による民衆の精神革新を決意せしめる、最終要因となった事件だった。
太宰は蟹好きで、三島は蟹嫌いだった。ただし、三島は蟹の缶詰ならば好んで食したという。三島は太宰の文学が嫌いだと言ったそうである。それは、正確ではないのではないか。三島が嫌ったのは、太宰文学の表層(蟹で言えば、殻)であり、その本質(蟹で言えば、身)においては、大いに共感していたのではないか。なんてのは、私の根拠のないカンである。