ミケランジェリと言えば、音楽会が始まるまで、本当に催されるのか、ハラハラさせる伝説のピアニストして知られています。そのため、幻のピアニストとも言われます。このボックス版では、そのミケランジェリの演奏が、実におよそ3時間20分の長時間聴くことが出来ます。それにまた、約33分のドキュメンタリー映像も添付されていて、ミケランジェリの実像に近づけます。
演奏は、ベートーヴェンが、ソナタ32番、3番ほか、
ショパンは、ソナタ2番、
バラード1番、アンダンテスピオナート、幻想曲ほか、ワルツ、スケルツォ、マズルカ、子守歌、などが収録されています。ドビュッシーは、映像1番、2番、子供の領分ほか。ミケランジェリ42歳のアブラの乗りきった壮年期にあって、オランダ放送局の放送用として行われた録音演奏会の模様を伝えるものです。
一音、一音、彫琢された音色であり、それによって紡ぎ出される音楽は、精緻で、彼独特の美学を提示しています。音楽愛好家垂涎の大ボックスです。古い録音のため、少しノイズが入りますが、それ程聴くときには気になりません。簡単に言えば、愛好家にとって、天から降った贈り物です。
ミケランジェリの死後、2000年に彼の妻などの承諾を得、当初は関係者達のみに配布された後、
ようやく一般用として発売されたのがこのCDです。
音揺れが所々気になりますが、1967年という時代を考えれば音質は充分に許容できるものです。
当時47歳と絶頂期にあったミケランジェリの、しかもオール
ショパン。
彼が好んで弾いた第2番のソナタやマズルカの完璧なる構築美が、
私たちの心の曇りを取り払ってくれる様です。
第2番ソナタの第1楽章終了時に、一部の観客が間違って拍手をしてしまっていますが、
それを物ともせず、以降もミケランジェリの集中力はまったく途切れる事はありません。
バラード第1番でのキリっと引き締まった演奏は後のDGスタジオ盤をも凌ぎます。
最後の“アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ”は、
ゆっくりとした出だしからフィナーレまで、コントロール抜群の指さばきです。
一切のブレの無い完成度の高い演奏・・・なんて神々しいのでしょう!
タイトルは実に体を表している。極度の奇人変人であるピアニストと17年もの長きに亘って良好な関係を維持するというのは綱渡りと言わずになんと言うのか。この表現はまさに相応しいと言えるだろう。私はコードガーベンと同じように個人としての主張はなるべく押さえ、周囲とうまくやっていこうという考え方の持ち主であり、著者の行動に賛意を抱いた。いつも爆発の不安を感じながら警戒しつつ応対する。緊張のあまりしなくてもよいご機嫌取りをするのは仕事上毎日のことである。優秀な部下から最大の能力を引き出すためには宥めすかすし、(意に添わないが)時に煽てることもある。気分屋の上司には怒らせない程度に愛想をいい、反論は最小限で、固執は努めてしないようにしている。ミケランジェリのような奇人に至っては、あらゆる取り巻きはこのような態度を取らざるを得ないのだろう。グールドも奇人であるが、この本の中で比較されており、性格は対照的でありながら類似点も指摘されている。どちらも私のベストスリーに入る好みのピアニストであり、読者としてショックは大きかった。自分勝手とは言い切れない何かがある。あまりに優れているため、通常の枠内で生きている人間には計り知れない精神的な何か障害をもっていたに違いない。その何かかどうかわからないが、何といってもこの本の中で二度に亘って紹介されるミケランジェリの音感の鋭さは驚嘆に値する。言語に絶する。あえて言えば人間技ではない。再びこのようなピアニストは生まれてこないだろう。神格化されてもおかしくないのではないだろうか。ヴァイオリンのクライズラーはどんなおんぼろヴァイオリンを弾いてもクライズラーの音がしたそうだが、ミケランジェリは楽器を選ぶのだ。ミケランジェリが認めた楽器以外ではミケランジェリの響きを引き出せないのだろうか。これも私が勘違いしていたことであった。グールドもスタインウェイで楽器を選んでいたが、やはりそうなのか。(彼は椅子も選んでいたが。)
他にも赤いスタインウェイならぬ
フェラーリに乗るピアニストというのも知られざる彼の一面だった。この天才はレースに参加したことすらあるのだ。ただしこの嗜好が彼の神業的な音楽と関係しているかは不明だ。しかし、楽器の構造に対する奥深い知識が彼の音感の鋭さと深く関係していることは間違いないようだ。ジャックとローラーはピアノのアクションの、そして
タッチの最重要ポイントであるのだが、アマチュアピアニストである私もあまり詳しいことは知らなかった。せいぜいレットオフのタイミングを調整させるぐらいがピアニストの要望だと思っていた。実際ネットで調べてみてもその程度の知識しか載っていない。だからこの本は非常に勉強になった。しかし、ピアノの構造図ぐらいはこの本に載せるべき。ところでそれほど楽器にうるさい彼がおもちゃのようなラジカセで自分の演奏を再生していたというのは悲しい事実だ。
この本にあるとおり、彼の数少ない貴重なビデオは演奏中に彼の手首がほとんど動いていないことを証明している。非常に理知的な、理にかなった奏法というわけだ。省エネ奏法とも言えるが。CDは貴重だが、これだけではわからない。ぜひビデオを付すべきだった。私としてこの演奏にじかに触れられなかったことは痛恨のきわみだ。94年だったか、彼の来日スケジュールが雑誌に出ていて、これが最後の機会だろうと言われて迷ったが、かの有名なキャンセルに終わった。私のいらぬ迷いは別としても、この本を読めば日本に対して悪い印象をもっていたに違いなく、なにか細かいことに理由をつけてキャンセルしてしまうあの天才の腹は最初から決まっていたのではないか。つまり必然的な幻の日本公演だったのに違いない。NHKの権利に固執した態度のために。あの天才から最大の効果を引き出すには宥和政策しかなかったのに。
後発の“1973年東京ライヴ ”が10月20日、
渋谷NHKホールでのNHKによる収録に対し、
こちらは10月29日、東京文化会館での東京FMによる収録。
いずれともに高品質な録音(演奏・音質共に)を今の時代に聴くことができ、
なおかつ東京でのLiveであったという事実に、日本人としての誇りすら覚えます。
中でもラヴェルの2曲が絶品でした。
比較的ゆったりとしたテンポでの“夜のギャスパール”
一音一音の表情が実にクリアーで艶やかな、精緻極まる“高雅で感傷的なワルツ”
ミケランジェリが、ピアノが持っている極限の美音を再現するのに命がけであったことが
良くわかる貴重なCDなのです。