1984年の公開時に、
六本木「シネ・ヴィヴァン」で見た、圧倒的な映画体験。
映画館の
スクリーンに映し出されるタルコフスキーの映像。
包まれる音響、流れる時間。
水たまりを映しているだけなのに、自分が何を見ているのかわからなくなる。
スクリーンが網膜になってしまう不思議。
それ以来、「あなたのなかで、ベスト・ムーヴィーは何ですか?」という話になると、
迷うことなく「タルコフスキーの『ノスタルジア』です」と答えるようになった。
しかし、残念ながら、このDVDは状態がよくない。
タルコフスキーの映画は、ある種の透明性がいのちのような作品なのだが、
前半、特に導入部あたり、画像全体がくぐもった印象で、映画が持っていた衝撃、驚きが、
まったく味わえない。逆に後半は、妙に明るく、神秘性が感じられない。
作品自体は文句なく最高評価だが、DVD製品としては、パッケージデザインも含めて、
満足できるものではなかった。最良の状態での再発売を期待します。
彼のファンではないし、特別支持しているわけではないのだが、この曲は何故か気に入った。
常に彼の言動や活動をチェックしているわけはないので、あくまで僕個人の印象として理解して頂きたいのだが、
メディア上での彼は"クリエイターや業界、音楽等々に対して強気"なイメージを僕は持っている
(というか、己の中に確固たるクオリティの水準を設けている、というのを周知させているイメージ。
アーティストとしては当たり前かもしれないが。その水準としているクオリティの問題はここでは置いておく)。
そんな姿勢の中で発表される作品にはどうしても過度な期待と心地よい裏切りと更新を求めてしまい、
現代音楽は方法論ありきで聴かないとどうしようもない点もあると考えているのだが、どうも彼のソロ音源はいまいちだった。
御多分に漏れず本作にもそんな考えもを持ちつつ聴いたが、いわゆるポップス、なかなかどうして凡庸なのである。
しかしそれが心地よかった。
作詞の菊地氏もいまいちらしくなくこれまた凡庸な詞で、
アレンジ面でも、主旋律をそのままなぞってしまうシンセなど、なかなか恥ずかしいのだが、
ヤンキーが雨に濡れた子
猫を可愛がる、的ありきたりなギャップにやられたのかもしれない。
とにかくJ-POPの気持ち良さが僕には感じられた。
「自分のために走るのじゃない。仲間のために走るんだ。」
そんな思いで走っていた自転車ロードレース。だが、白石が自分の
ために走ろうとしたとき、自分以外のエースの存在を認めないという
石塚の存在が重くのしかかる。石塚には、3年前にあるエースを
つぶしたという疑惑があったのだ・・・。
北海道にも「ツール・ド・北海道」というロードレースがある。実際に
見たことがあり、かなり興奮したのを覚えている。はたから見れば
華やかなレースに見えるが、実はかなり過酷なものであることを
この作品で知った。選手の思惑、レース中の駆け引き、レース展開、
どれをとってもその描写は真に迫り、読み手をロードレースの世界
へと引きずり込む。自分を犠牲にしてもエースやチームを勝たせる。
そういうスポーツはほかにあまりないのではないだろうか。石塚は
本当にエースをつぶしたのか?その疑惑が明かされないままラストへ。
そこでこの作品の
タイトル「サクリファイス」の真の意味が明かされるが・・・。
読後、複雑な思いが残ったが、読み応えのある面白い作品だった。
しばらく品切れ状態だったが、ようやく「HDニューマスター決定版」として再発されることになったのは誠に喜ばしいことである。
私は映画館でも何回か観ている作品だが、何回見ても飽きさせないほどの魅力がある。
タルコフスキーはたかが「物(ぶつ)撮り」のワンカットすら
スタッフにまかせず、一日がかりで撮影するほどの監督なので、それぞれのカットが見逃せない程の意味を「持ち得て」いると思うのだ。
この作品はタルコフスキーの遺作だが、物語の「主題または象徴」とも言える「白い家」が炎上するシーンで、フィルムが回っていなかったという大ハプニングがあり、この時すでに癌に侵されていて余命少ないタルコフスキー監督は大変に落胆したが、
スタッフはなんとこの「白い家」を隅から隅まで全く同じように、復元してしまった。
スタッフも、本当に凄い人達ばかりだったのだ。
編集作業にはもはや立ち会うこともできなくなり、病室に
スタッフが行って、タルコフスキーから色や様々な指示を受けていた。
だからこそ、タルコフスキーの「祈り」であり、「執念」で作り上げた傑作になったのだと思う。
「HDニューマスター」をしているので、画質が向上しているのは当然だが、2枚組になっていて、特典ディスクも充実していることが、さらに嬉しいところだろう。