グロと言ったらY太! Y太と言ったらグロ!
私も彼の一ファンなのですが、彼の思想が全開な一冊だなぁ、と思いましたね。
愛しているから殺したい。殺すという形をとってしか愛せない。
こんな歪んだ快楽を表現する上で、彼を差し置いて誰がこんなん描く?
今回は彼のHPの看板娘のまいちゃんが主人公なので、作者の思い入れもバッチリです。
ぜひ買って、神棚に飾るなり、
猫除けのお守りにしましょう。
高岡さんのファンということで見ました!内容はエグいですね…聞いた話だと映画でこそ映せないような事を事件ではやっていたというから驚きました…そして事件をおこした張本人達はほぼ出てきているということにも恐怖を感じます…ストーリーや時代などはあまり気にせず考えずに見てほしいですね。実際にこんな酷い過去があったんだということを知ってもらうためにも。
救われない話だ。
期待は報われず失意に変わる。
希望は裏切られる為に存在する。
特に印象的なのは第二話「友達」。
少女が刑務所で再会したのは孤児院時代の親友。
囚人たちに日毎陵辱され生き地獄を味わいながらも、不遇な少女は壁越しの友に慰めを得て、「一週間生き延びれば再び馬車が迎えに来る」と信じて待つのだが……
彼女が聞いた友の声の正体はなんだったのか。
絶望の淵の妄想か、
苦境の友を救わんとした天の声か。
けれども他の少女より多く生き延びた事で彼女が体験したものは更なる生き地獄と想像を絶する苦痛。だとすれば少女のもとへ舞い降りた救済の声は、
ドレスを引き裂かれた友の復讐だったのか……。
悲哀、絶望、慟哭、戦慄。
読後、鬱屈した想いが残る。
残虐の一言では片付けられない。
単なる悪趣味ではない。
この作品に何らかの救いを期待して読んだ者が激しいショックを受けるのもわかる。
けれども、真実における救いなんてものはそうそうない。
善良な者が必ずしも報われ幸せになるとは限らないのが現実。
悲劇のはてに必ず救いが訪れるというのは虚構の上に成り立つご都合主義、
「そうあってほしい」と願う読者の勝手な思い込みに過ぎない。
勧善懲悪のカタルシスが得られぬ虚構もまた存在する。
この作品における孤児の少女が象徴する弱者は、権威ある者が提唱する社会秩序を守る為の「生贄」として犠牲になる。
それこそが虚構の裏にひそむ、誰もが目を背けたがる現実の一面ではないか。
私達が卑劣にも目を閉じて背けて無かったことにしたがるそれこそ、真実の一旦ではないか。
少女達を襲う運命は確かに酷い。
だが、現実の方がもっと酷い。