現代とはかなり価値観が異なっているので、ちょっと理解しがたい部分もあるかもしれませんが、これがまさにこの時代のリ
アリティーなのだろうと思います。
丑松の惨めな告白、
テキサスへ旅立つこと、これらは決して逃げだとは思いません。この時代のこの社会情勢の中では、それ以外の選択は考えられなかったのでしょう。
あの空気の中で告白するというだけで、本当に想像もできないほど恐ろしい、勇気のいることだったと思います。
テキサスに行けば幸せになれる…ということはないでしょうが、差別を受ける人たちにとっては、偏見と悪意に満ちた社会で、人としての尊厳を奪われて生きることは、あまりにも救いのない、絶望的な人生だったと思います。
丑松は決して英雄ではなく、真摯な好青年ではありますが弱さや迷いもある、等身大の人物として描かれています。
それでもそんな自分の弱さや迷いを必死で克服しようとするところに感動があるのです。
噂にならなければ、あの告白はなかったでしょうか?
いずれにしろ、噂が立つまで、自分を責め続けているときの方が、よほど苦しかったような気もします。
注文を付けさせてもらうとすれば、勧善懲悪がハッキリしすぎているところでしょうか?
そしてロマンスの部分も、この小説をちょっと俗っぽくしている感じもあります。
もちろんそういう部分がなければ、とても暗くて後味の悪い小説になってしまっていたかもしれませんが。
日本が世界に誇る撮影監督宮川一夫さんのカメラがとにかく息を呑むような美しさ。ちょっと信じられないくらいに冴え渡っています。 雷蔵は勿論、長門裕之、三国連太郎、
船越英二、岸田今日子、宮口精二、あげくは中村鴈治郎に杉村春子などなど、もはやこれ以上は望めないというくらいの大物俳優たちによる怒涛の競演です。 しかもこれほどアクの強い俳優さん達が、決してお互いのよさを打ち消すことなくさりげなく自己主張しているところに監督の確かな力量が伺えます。これがデビューの藤村志保さんも、決して美人とはいえないものの、かえってその普通の人っぽさが作品に奥行きを与えるのに大きく貢献していると思います。ただ、この人の声だけは、やっぱりデビュー当時から印象的だったんですね。
しかし市川監督はどんな感動的な題材を扱っても、決してむやみに観客に涙を流させる、というような演出をどうもなぜか意図的に避けるタイプの人のようです。例外は"ビルマの竪琴"くらい。そのため、どうも痒いところにいまいち手が届かない、と感じる観客も多いのでは? この作品も、監督の世界にある程度通じている人でないと満足はし難いかもしれません。 でも
ジャケットも超シブイし、豪華ブックレットつきで、この値段の値打ちは間違いなくあります。
一説によると、松本幸四郎主演でこの作品の前に製作されたテレビ版"破戒"のほうがもっとすごかったらしいです。ぜひ見てみたい。
島崎藤村の詩は若い頃から好きであったが、散文は「千曲川のスケッチ」を読んだ程度で、小説はなぜか敬遠してきた。多分、藤村の私生活に共感をもてなかったためだと思う。ところが、ある雑誌に載った対談に触発されて岩波文庫版の「夜明け前」(全4巻)を取り寄せたが“つんどく”状態となっていた。今般、Amazonの電子書籍リーダー(Paperwhite)を購入したところ、kindle無料本に「夜明け前」があることを知り、これで読んでみることにした。断続的に読んだが、文庫本の活字を追うより年寄りには読みやすいようだ。今回のレビューは、読了したこの巻についてのみのレビューとして、以降のレビューは全巻読了後、第二部(下)に記すようにしたい。
「木曾路はすべて山の中にある。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、云々」の冒頭の文章はあまりにも有名である。馬籠は木曾街道(=東山道:中仙道)六十九次のうちの木曾十一宿の一つであり、主人公の青山半蔵は馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる旧家の当主となるが、時勢の影響もあり平田派の国学を信奉している。本巻に描かれる時代は、幕末の激動が始まる黒船来航(嘉永6年、1853年)から生麦事件(文久2年、1862年)頃までである。黒船来航の情報や防備のための大名の軍勢も馬籠を通る。安政の大地震の情報も和宮降嫁の行列も馬籠を通る。山深い馬籠を舞台にして幕末維新の激動期が語られる巧みで重厚な語り口となっている。このような藤村の文学の味を初めて知った。
この巻を読んで印象に残った点を記すと、
1.江戸時代は極めて綿密な統治が行われていたこと。
例えば、木曾街道六十九次を設置して、宿の体制は助郷を加えて極めて合理的に運営されていた。また、森林管理も厳重で「再生可能社会」を実現していた。ここでジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』にある「徳川幕府の解決策」にある記述を思い出した。
しかし、黒船の外圧を受けて日本の統治体制は変わっていかざるを得なかった。
2.江戸時代は災害に意外と強かったこと。
この間に江戸に壊滅的な災害を与えた安政大地震や馬籠宿の火災も立ち直りが早い。勿論、インフラが高度化した現代とは違うが。
明治の文豪、島崎藤村の名著、瀬川丑松の心象風景が身につまされて心に染みる。父親の遺志を守ろうとしながらも生徒に対する真摯な正義感から、告白・謝罪をする場面は涙無しには読むことができません。日本人として、一度は接してほしい日本文学の至宝と思います。