25歳のOLの「今」と「中学生の頃」が交互の章立て。25歳のOLの「今」は、会社に馴染めず(馴染まず)、孤立してて(ひとり上手で)、
ランチなんかも公園で
猫相手にコンビニ弁当をパクつくって感じなんだけど、「中学生の頃」も基本変わらない。それでも中学の頃って色んなクラスターの奴が突っ込まれているから、もちろん「いじめ」みたいなネガティヴな断面もあるけど、一方で自分の色を出しながら自分とは違う他者と色んな関係性で交わるってのが自然に出来てる頃でもあるんだよね。高校、大学、社会人って、自分の生活圏は拡がっていくにも拘らず、集まる人や関係性は逆にクラスター化、画一化していって。孤立感や閉塞感の深度は増す。特に主人公みたいに、親が団塊以降の放任主義だったりすると(想像ですが)、「個性」を尊重されて育ってるから、その分きついよね、実際問題。著者は、この主人公を鬱陶しくて嫌な奴に書いていて、残り十数ページってとこまで引っ張るんだけど、そこがすごいと思った。なかなか「共感」みたいなことをベースに置くと読者におもねって共感しやすいタイプに書いてしまうケースも多いからね。描かれている同級生たちにも同様の感想を持った。この小説の中学生たちには、「いたいた」って懐かしさや、「あったあった」っていうデジャヴを感じてしまう。結構、この中学の頃の他者との係わりって普遍的な重要性を持ってると思うな。主人公も、彼らと過ごした時がその後の支えになってる訳で。特に異性とではなく(あるいは異性としてではなく)、同性との関係性が重要だよね。俺、もう不惑だけど、それはつくづく思うわ。結局すべてはあの頃なのよ。別にそれは中学の奴と今でも会ったりする、なんてことでは全然なくてね。そうそう、別個の方向性や互いに錯綜した関係性の集団がまとまる媒体、システムとしての「神様」「宗教」ってのが、結構面白かったです。
タイトルはセンスがいいなと思ったんですけど、文章はもうひとつです。
短いエッセイ集なんですが、ものすごい野望とヤル気は宣言しまくっているけれども、文章がそれに追いつけてない感じです。「人にわかってもらう小説を書く気はさらさらない」などと言いながら、ずーっと後の方で「何で売れないのか」「読者にわかってもらえない」とか書いているんですよ。これは大いなる矛盾です。そりゃないわ、とガックリきました。
若い女性らしいフラジャイルさと野望を秘めた太さが同居していて、共感できる内容のエッセイもあったのですが、果たしてこれからそれだけでやっていけるのか。がんばってほしい。
あと、申し訳ないですが、作者は表紙に写真を載せられるほどの美人ではないと思います。