水泳をやっている人も、いない人にも、努力することの喜びを教えてくれる本です。イアン・ソープは恵まれた資質だけでなく、並々ならぬ努力でトップスイマーの座を維持していることがよくわかります。その努力の仕方や、精神のあり方など、参考になる事がいっぱい書かれています。
十代前半から水中の神童だと囁かれ、14歳でナショナルチームに選出され、あとは超人街道をひたすら驀進、24歳で引退を宣言したお馴染みイアン・ソープの自叙伝。
一応、中高とヘタレ水泳部員だったのでオリンピックとなると水泳は見るし、イアン・ソープも覚えている。ユッタリ泳いでるようなのに妙に速いぞ、お、二軸泳法、
身長196cm?…デカッ、くらいのミーハー認識だったが。本書、ご本人が書いたのかゴーストが後ろに控えているのか定かではでないが、片手間の自伝という印象はない。なかなか読み応えがあった。
ロンドンオリンピックを目指して六年ぶりの現役復帰を宣言。その猛訓練の日々を中心に綴りながら、合間に回想や内省が差し挟まれるという体裁で進む。訓練記録が充実しているので水泳関係者には参考になるかもしれない。水泳観や水との交感を語る様は紛れもなく異能人だと思わせる。前世はイルカか何かだろう。出版に際して、子供の頃からの重度の鬱と不安症を告白した部分が話題になっていたが、当初の意図としてはこの部分を告白する気はなかったのではないかと推察する。最終章近くで一章割いているだけで、そこに至るまでには「鬱病」には一切言及がない。しかし「鬱病」なのだと告白が来るとストンと落ちる何かがある。
行間に漂うのが「孤独」と「物思い」なのである。最近読んで印象深かったアンドレ・アガシ自伝と比較してみると、本書の世界には身近な「他者」との交流感が随分と希薄だと感じる。周囲に人はいるし、良き家族、良き友人の話題は登場するが、内面的にはいつも一人でいるような、一人自分の世界に沈んでいるような雰囲気が一貫して漂っている。勝利より克己を求め、自己探求の為に泳ぎ、「理想のストローク」の境地を追い、自分の肉体を淡々と客体化する。そして水から上がるとまたじっと何かを考えている。凡夫より思考量の多い修行僧のような。女っ気がないのはそのせいか。前世がイルカ、今生で人間界を初体験して懊悩しているのかもしれない。「泳ぐ」ことは故郷回帰衝動なのかもしれない。
散文的な感想としては、中学時点で学校を半分欠席せざる得ないスポーツエリート養成システムってどうなのかなぁ、と。そこまでしてスーパーアスリートを育成しようという意志はどのように正当化出来るのであらうか。成功者はごく一握りで、人生は二十代が過ぎても続くのだが。