本編については評価はつけられないし、また、評価云々すべきモノではない。 一言だけ言えるのは鈴木祥子を知っている人なら買うべきです。 私はこの作品を買っていなければ後悔しただろうなと思います。因みに特典?のスタジオライブの内容は素晴らしいです。と素直に言えます。
ここ数年、ライブ盤やベスト盤などのリリースはあったものの、オリジナルアルバムは久々。力強く、そしてどこか儚げな歌声は健在。
「ラジオのように」が新しいシンプルなアレンジで歌われていたり、彼女のDVD、「Life,/Music&Love」のラストで歌っていた「忘却」も収録。新たな方向を目指す彼女の音作りに今後も期待したい。
ソングライターとしての力量、声の響きの素晴らしさなど鈴木祥子氏の魅力は他のレビュー参照。活動初期に関してはCDの音質や活動環境について、思うようにならなかった苛立ちを本人も折に触れて吐露されている。私はその頃の作品を聞くと、「もっと良い作品になっていたのかなあ」と作品そのままに向き合えない時もある。その点、本ベストCDは音質的にはリマスタリングによって安心して聞けるようになっているのが魅力だ。 詳細に及びディスコグラフィーなど丁寧なつくりもうかがえるのに、残念なのはライナーノーツ。「その人が愛する「音楽」もまたかけがえのないひとつのキーパーソンである」「「孤独」という言葉がとても市民権を持っている」2箇所のみ引用するが、気になる表現は他にも多数。劇作家を名乗る人がこんな日本語を使うのもどうかと思うが、校正は担当者の仕事。新潮社の編集者レベルの仕事しろとは言わない。作家の原稿にケチつけにくいのもわかる。なにより、締め切りがあったんであろう。でも、結局書き手に恥をかかせることになるよ。内容も、どういう読み手を想定して、どういう目的を果たしたいのか、あいまいに書いたのがありあり。十人並みの印象論をだらだら書かれても困る。こんなことになったのも、原稿依頼の仕方が悪いんだろうと想像する。 ま、ライナーノーツは読まなければいいだけの話で、本CDにとっては小さな瑕疵でしかない。ballad編に続いてuptempo編を期待させてしまう力を持つ好編集盤です。
え〜、細かいコトはどうでも良いです。録音良し、映像良し、アレンジ良し、演奏良し、唄はもちろん良し。 見ましょう。
自分は音楽に対して接する時、余計な情報は要らないという考えがほんの少しあり、それで、ミュージシャンの自身の音楽についての言葉を積極的に読んだりしようと思わない。 ただし、そういった言葉の中でも優れたものによって、音楽がより素晴らしいものになることもある。よく十代の頃に聴いたアルバムが自分の生涯の名盤になると言われるように、 様々な感情が鳴っている音楽ではなく、聴こえる音楽を変えてしまうのだろう。しかしそれが多く見つからない内は、この考えはほんの少しだとしても、存在し続けそうだ。
彼女は、大幅に単純化した言い方をすると、自身について歌っている。だからこの本の第二章は「そういった言葉」であるといっても良い。 女性ということについてや、女性性、男性性、という言葉を挙げ、ジェンダーについての様々な疑問を投げかける。これはやはり音楽で表現していることと大きな差は無い。 (男としてはこういう疑問は中々持ったりしないので、非常に興味深いものがあり、考えさせられる。だから彼女の音楽に惹かれたりもする。) そして一つ自身の考えを導き出す。それは簡単に言うと、男らしく、女らしく、ということを超えて自分らしく在り、単純に対等に思いやりを持つ、それが本当の男女の平等である、ということ。
それを踏まえた上で、彼女は女で居たいとある。ここでふとセルフタイトルのアルバム「鈴木祥子」のラストナンバー「道」の歌詞を思い出した。 「ここからは、もうだいじょうぶ、ひとりで行くよ、さようなら。」 この曲以外は、主に愛することについて歌っていたはずが、自立していく覚悟を決めている。ここに少し違和感はあった。 だけど今では線が繋がったように感じる。「そういった言葉」が上手くつなぎ合わせてくれたことは間違いないと思う。 だからますますこのアルバムが好きになった。本よりも音楽が好きな自分にとって、この第二章が素晴らしいと思える要因はこれだけなのかもしれないが、だからこそそれは絶対のものだとも思える。
彼女はまた、言葉の力についても書いている。この本を読み、音楽を聴いた今、それを感じないではいられないし、 ミュージシャンの言葉について、より良い音楽を聴くために、少しでもポジティブになったように感じた。
ちなみに第一章のアルバムの批評ももちろん素晴らしかった。 女性視点の語り口はなんともキュートで魅力的に感じる。あとがきを読むに、こちらの方がよく彼女自身の色が出ているのでは?という感じ。
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