本書は聖骸布を歴史、科学の両面から真摯に、それもかなり深く研究した書物である。
日本では聖骸布はオカルトとして扱われることが多く、真面目に研究するとどういうものなかという観点がほとんど見られない。
本書は10年以上まに出版されているが、その時点までの歴史的、科学的な蓋然性を含めて、十分な論拠を掘り起こし、聖骸布について人間が理解できた事実が記載されている。
多分、日本でこれ以上、聖骸布を深く真面目に研究した本は現在ないであろう。
最新の科学的知見等については、同じ著者が「キリストと聖骸布」という文庫を出しているのでそちらを参照すると良い。文庫本なので本書ほど深い調査内容が記載されているわけではないが、その分、この本を読む前の入門書として使える本になっている。
上述の文庫を読んで興味を持たれた方は、本書でさらに知識を深めることが出来る。
キリスト教に少しでも関心があれば、この本はすごく興味深い本だと思います。流し読みしても、じっくり読めばなおのこと、理解とともに不思議さが深まってくる素晴らしい本です。しかもいつでも手にとって読める文庫本です。空白な部分が解明される日が早く来ればいいなと思います。
本書は現在日本語で読める「トリノ聖骸布探求シリーズ」近作の6冊、本書の他に...『トリノの聖骸布―最後の奇蹟』(1985)、『トリノ聖骸布の謎』(1995)、『イエス・キリスト 聖骸布の陰謀』(1998)、『イエスのDNA―トリノの聖骸布、大聖年の新事実』(2000)、『キリストと聖骸布』(2010)…のなかで、発行年からいえば、古い方から2番目になる。本書の特徴は炭素14年代測定法結果に100%依拠していることである。これに対して『イエスのDNA』は骸布に付着している血液からDNAを採取できたとし、但しそれと比較すべきコントロール−バチカンが保管しているという、イエスが磔された十字架や釘、鞭−などから血液の採取が許されない限り、聖骸布の真偽は確かめられないとのことで、これは年代測定法の結果を信用する限りでは、遅すぎた調査である。だが最新作の『キリストと聖骸布』は、布が長期に亘って、多数の人々の手垢で汚染されているので、炭素14年代測定法は手垢を測定している可能性があって信用できないと主張し、さらに2002年の調査で、布の縫い合わせ方が73年に滅んだマサダ要塞跡から発見された生地の縫い方と同じとする新報告を紹介している。謎は尽きないのである。 本書は先ず、文献上から、聖骸布が1950年代に突然話題に上った経緯を探り、聖骸布の炭素14年代測定結果−95%の確率で1260-1390年間に作られたもの−を信ずる立場から、ダ・ヴィンチが考案したカメラオブスキュラ技術を検討し、聖骸布は1490年代にレオナルド・ダヴィンチが、写真として布に焼き付けたものと、推定する。但し年代測定法結果との100年の違いについては説明が無い。骸布の制作者名まで特定する大胆な想像力は、荒唐無稽ではあるが、読んでいて心臓の鼓動が早くなる程の説得力を持っている。 真偽の探求はこれ以後も専門家に任すしかないが、このことと付随して、ヨーロッパには公史(明るい表向きの歴史)とは別の暗い裏面史が存在することが強い印象として残る1冊である。 筆者はトリノの聖骸布が本物でも偽物でも、それで被る影響は全くない。だたイエス・キリストという世界最大の人物に対する関心と、2000年以上のスパンの中で、信仰・伝説を科学的調査で確かめようとする学者の、おそらく金にならない、知的好奇心だけが支える果てしない追求を、共にしたい気持がある。これは「救世主」への冒涜ではない。
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