この映画が大好きで購入しました。
驚いたのは、DVDにないセリフが多数載っていたことです。
(この映画は2バージョンあるのでしょうか?)
それはともかく、原作者や監督、脚本家のコメントや、各時代の背景、
俳優たちのプロフィールや、美しい写真なども載っていて大満足の内容でした。
詩的な美しい映画なので、英語学習に役立てるだけでなく、
この映画が大好きな人のための解説本として、持っていてもいい思います。
癒しを求めているひとにはもってこいのCDです。だれもが知っている曲がけっこうあります。あっ、このメロディは・・・とだれもが思うでしょう。そして知らなくてもあっいい曲だなと思う曲もかならずあると思います。値段もお手ごろでやっぱりオススメです。
作曲家・フィリップ・グラス(Philip Glass)の最高傑作のひとつであろう。 1983年に発表された『コヤニスカッツィ』(Koyaanisqatsi)に出逢ってから、これまでグラスの音楽を少しづつ聴きつづけてきたが――但し、全ての作品ではない――正直なところ、その作品のなかに、今ひとつ「腸」に響いてくるような情感の息づきを感受することができずにいた。 確かに、そこには、現代という時代を特徴づける底無しの不条理が刻印されてはいるのだが、ただ、結局のところ、それらの作品が音楽による「社会批評」の範囲を出るものではないように感じられたのである。 つまり、そこには、そうした時代を生きている人間の深層にある内面的真実が真にとらえられていないように思われたのである。 そこには、あたかも全ての頼るべき価値と基盤を喪失した現代という時代の雰囲気を克明にえがくことが、そのまま人間の真実をえがくことであるという――典型的ではあるが――倒錯した偏見が無批判に音楽として表現されているように思われたのである。 しかし、実際には、そうした時代においても、われわれは人間の深層に潜む真実を表現したバッハやベートーヴェンやブルックナーの古典的な音楽に耳を傾けつづける。 そこには、時代をこえて人間存在の内奥に息つづける深層的な真実がとらえられているからである。 この“The Hours”という作品は、・フィリップ・グラスが、その視点を漸くそうした深層領域にむけはじめたことを示唆する画期的な作品である。 そこに息づくのは、この世界のなかで、存在と時間の重圧のもとに生きることを宿命づけられた人間の普遍的な苦悩を注視する透徹した眼差しである。 そして、また、そこには、そうした苦悩を内包しながら日常を懸命に生きるわれわれひとりひとりに寄り添うような静謐な慈愛が溢れている。 そこには、現代という時代と対峙することを自己の作曲家として責務として堅持するいつもの力瘤のはいったあり方から解放されて、個人の内面の深層に肉迫しようとする作曲者の優しさが見事に表現されている。 とりわけ、最後を飾るThe Hoursという8分程の作品には、この傑作の魅力がつめこまれている。 人間が宿命としてひきうけることになる「時間」という苦悩と孤独を切々と謳いあげるこの作品には、時代をこえて、われわれが直面してきた真実の一端が刻印されているように思われるのである。 尚、こうした作品の特徴を反映してだろうか、録音にはIsobel Griffithsの召集した中規模の弦楽アンサンブルが起用されており、いつもとはひとあじ異なる暖色系の音楽が奏でられている。
1923年、1951年、そして2001年。3つの時代が何の違和感もなしに めぐりあうこの映画は、音楽を書く上で時代ごとに書き分けるべきか、 それともひとつで繋ぐべきか。監督も作曲家も相当思案したことだろう。 ピアノの和音の連続が緊張感をかきたて、愛・友情・死といった 作品のテーマを見事に描いている。普通のスコアとは違って、 はっきりとした心に留まるメロディーのようなものはないが、 それだからこそ余計にこの映画のためにだけある音楽なのだ という気がする。
様々な思想が認められている現在においても、同性愛に悩む方は沢山いらっしゃるでしょう。 ですが昔は今の比ではなかったと思います。 自分を押し殺し男性と結婚するものの、結局アイデンティティーは代えられない。 一人は自殺を選び、一人は家族を捨て生き延びることを選ぶ。 現代の女性だけはそんな悩みに囚われることなく生きるが、それでもしあわせとは言いがたい。 救われないけれど、なぜか何度も観たくなる映画です。
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