早くから才能は開花していましたが、菊池寛の「小説は人生の経験を多く積んでから書かねば駄目だ」という考えを地でいくように、文藝春秋社で、編集者としての生活を始めます。戦後、パージに遭い(すぐ解除)、それを機に文筆一本で身を立てます。痴呆症の老人を持った家庭を描いた「朝霧」が横光利一賞を受け、そこから文人として再評価されます。新聞小説で流行にも乗り、やがて短編作家として、昭和30年代から珠玉の作品を生み出します。ここに収録の作品群は、同氏の短篇全盛期のものばかりです。定年のサラリーマンの自殺がテーマの「一個」、借金苦に心中を果たした当日を描いた「青梅雨」中流家庭の主婦の楽しい駆け引きを描いた「しりとりあそび」など、市井に生きる人々の哀歓を描かせたら、右に出る作家は皆無です。白州正子さんが同氏の死に際して「何もいうことができない程の名文家を私たちは失った」といわしめるほどの作家の名品をここで味わって欲しいです。
地方に出かけてとくに観光するでもなく、「ついでに」著名文学者が住んでいた場所というのを訪れることがある。記念館などが建っていると、そこに根ざした文学者の手紙などが展示され、その文学者と、その場所の強い繋がりを感じることがある。封書の宛名書きすらも作家と地域の繋がりを主張しているように見え、なんとなく、「『文学』とはこのようなものであったか」などと感じる。
永井龍男の作品も、作家と地域 -鎌倉- の「繋がり」を印象付ける作品が多い。それが単なる「身の回り」を描いた私小説というだけでなく、まさにその地域にマッチした文体が感じられる。そしてその文体が描き出す登場人物のカタチも「そう、この人物はまさに鎌倉の人」などと思えてくる。
一時期の(?)私小説排撃ブームの頃から、あまり「地域」や「地域の人」を描く作家はいなくなったように思う(鎌倉、
京都などはそれでも題材に選ばれることは多いのだろうが)。永井龍男の短編は、その文体も相俟って「懐かしさ」を強く感じさせる。
中村明氏によれば、永井龍男の文章を読んで、そのあまりの見事さゆえに作家になるのを諦めた人すらいると言う。確かに「文章」を、あるいは「文字」を読ませる作家で、今この時代に読んでみるのも面白い作品羨ましいと思う。