このドラマを支えるのは、菊川伶が演じる阿国の屈託のない笑顔だろうか?出雲で淋しい思いをしていた阿国が、踊る喜びを知ってから、どんどん表情が明るくなっていく。野心家の三九郎とは、対照的だ!ただ、踊る事の喜びの為、客層も選ばない。上層志向の三九郎とは、本当に対照的なのだ!しかし、その三九郎にも、そこまで来る様々な苦悩があって、、、。一概に善とも悪とも表現できないが、三九郎や菊は、いわば敗者なのだ!客層を選んで、上層志向なのが代えって仇になった。そんな難しい心理描写を
堺雅人さんが演じる事によって、より役に深みが出る。阿国は、結構波瀾万丈の人生なのに前向きに生きている。そんな阿国のけなげさ、芯な強さに魅かれて、最後までいっきに見てしまうのかもしれない。鈴木一真の、おとぼけな演技もなかなか良い味が出ています。
南極、ドームふじ観測拠点に務めるおっさんたちが、「西村くん、」と
堺雅人 演じる
料理人の男性に呼びかけたあと、めいめい珍妙なことを好き勝手に言ったり注文したり
する。そんで飯食ったり、あと本当にくだらない馬鹿なことをいい歳こいてみんなで
楽しそうにやったりとか。そんな映画。
「お父さんがこんな白くてよくわかんないとこ行ったら寂しいだろ?」とは、
南極基地行きを命じられて出発を控えた
堺雅人が娘に言った言葉だ。しかし、たとえ真っ白な
氷以外になんにもないような場所であったって、人間がそこで暮らし、飯を食っている
限り、ドラマは必ずそこに生まれる。拠点の外の広大な氷原、拠点の中のトイレに風呂場、
各人の部屋の扉がずらりと並ぶ基地の廊下に、共用の電話機が設置されたコーナー、
調理室、そして、八人の男が囲むちょっと長めの食卓。定点やシンプルな軌道の動きでもって
撮影するカメラが、観測メンバーの一人、数人、あるいは全員が基地で送る日常を
静かに切り取る出来事の数々は、劇的ではないけれど、
南極という特異な状況
ならではの面白さと、人間の生活行為そのものが持っている普遍的なおかしさにあふれている。
洗練されたセリフの掛け合いや会話の「間」も見事だし、おっさんたちの
南極での
「遊び」も観ていて本当に楽しそうだった。暇だけどそれを潰せる娯楽もあんまりない、
それじゃ頭使って自分らなりに楽しむしかないよな、ってよく考えれば学生時代によく
あることで、そういう意味ではこれはおっさんたちの第二の青春なのかもしれない。
どんなものでもそうだが、人に何かを薦めるのはけっこう難しいものだ。自分が良いと
思った部分を、他の人もそう思ってくれるとは限らないし。映画もその例にもれない。
けれど、気心知った仲間が集まって屈託なく笑いながらふざけあうのを見て「楽しそう
だなー」と思わない人はそういないと思うし、寒いところで一生懸命働いたあとに
塩気のきいたおにぎりとあったかい豚汁を食べるところを想像して「うまそうだなー」と
思わない人はもっと少ない気がする。真っ白な大地の上の、おっさんたちの食器片手の
青春映画、肩肘張らずに多くの人に楽しんで欲しい。