ヒロインは可憐で健気、守ってあげたい女、NO1のリリアン・ギッシュです。この作品でも決してファンを裏切ってません。見所はなんといってもグリフィス監督お得意の『最後の救出劇!!』
これを見ずしてこの映画を語るなかれ!
本書において意味される「危険」とは、「歴史の産物であり、人間の行動や不作為を
反映したものであり、高度に発達した生産力の表れである」。
例えば、チェルノブイリが告げた原子力の「危険」、光化学スモッグや酸性雨の「危険」。
今日ならばさながら温暖化の「危険」といったところだろうか(とりあえず、エコエコ詐欺には
気づかないふりを決め込もう)。
高度に成熟した産業社会、消費社会の果て、ポストモダンとして、著者ベックが
指摘するのは、技術と自然のしっぺ返しとでも呼ぶべき「危険社会」の到来であった。
もっとも、本書の論点は単に環境問題への啓発に留まらない。
こうした「危険」は例えば政治や国家モデルのありよう、あるいは倫理の姿をも
変えてしまう、そうベックは論じる。
人によって本書をプロ市民のすすめとでも読むことがあるかもしれない。
整然とまとまったテキストとはお世辞にも称し難いものでは確かにあるが、かといって
本書における豊富な示唆は今日でもなおも有効。
例えば「危険は階級の図式を破壊するブーメラン効果を内包している」との議論。
私個人としての好悪はさておき、戦争によって危険の共有を求めるほかに道はなしとする
赤木智弘氏の議論なども案外本書の射程なのかもしれない。