映画を見る参考にと、本書を読んだ。
何年にどんな出来事があったという年代記の形式でなく、バゴアスの回想という形式なので、思い出したことを書きとめた、という語り方になっており、とても臨場感はあるのだが、いつ、何があったのかがわかりにくかった。
ただ、歴史の授業で習ったような、マケドニアから出てきた野蛮なギリシア人が武力でインドの奥地まで征服しましたよ、へえ、すごいですね、という表面的な知識に加えて、既にペルシャ帝国と文明の支配がインドにまで及んでいていて、それにアレキサンダーが乗っかる形で大帝国を成立させた、つまりペルシャの文明度の高さがまずあって、その支配層に
ギリシャ人が加わったものがアレキサンダーの帝国だった、という事実が丹念に描かれており、ペルシャ側からみたアレキサンダー論のようにも読め、面白かった。現代のイラン人が何故あんなに誇り高いのか(高すぎると時々思うけど)、多少理解できたかも。
髪が長いのは反抗的。ジーンズをはいている奴は反抗的。こんな時代がアメリカやイギリスにもあったなんて、若い世代には信じられないだろう。ロックンロール=元は黒人音楽。ジーンズ=元は労働者の服。長髪=オカマ。アメリカやイギリスの自称良心的中流家庭の親にとって、こんな要素が詰まったロックは不良以外の何ものでもなかったのだ。
ロックが光り輝くには仮想敵が必要である。主流派を”敵”と位置づけなければならない。故に、ロックは本質的にアンダーグラウンドであり、カウンターカルチャーである。つきつめれば、ロック=インディ・ロックでなければならない。
ロック・バンドの最良のアルバムは、大抵がファースト・アルバムであり、
メジャーになって洗練されてくるほど、”ロックの輝き”は失われていく。それがロックの宿命である。
イランは検閲が厳しい国である。しかし、それ故に仮想的に溢れ、ロックが輝ける素地がある。ネガルやアシュカン達にとって、ロックはカウンターカルチャーそのものだ。海外へ飛び出して活躍の場を求めるイランの若者の、エネルギーを内に秘めた、まさに最良の時を切り取って見せた”奇跡”のような青春映画が本作である。
また、検閲や予算などの不自由な条件を、創造性に転化することにかけては天才的なイランの映画人、その中でも最良の一人であるゴバディが撮った映画なのだから、この映画自体が奇跡である。
ただ、残念なのはこの映画を見た人の中には、抑圧=イスラムと短絡的に考えている人がいることだ。欧米人や日本人は、中東での抑圧的な事柄をすぐにイスラムと結び付けたがるが、抑圧的なのは”イランの体制=人”であって、”神”や”イスラム”ではない。見た目の敬虔さを要求する”体制=人”に対しては反発しても、”神”に対しては敬虔である人は多い。アメリカのラッパー達の多くも、敬虔なイスラム教徒である。
自由がないのはイスラムが原因ではなく、イスラムの名の下に抑圧する”体制=人”にある。”イスラムを都合よく支配に使う体制”と”イスラム=抑圧的と都合よく考える欧米人”の狭間に落ち、イスラム圏の普通の人々の本当の気持ちと文化と信仰が理解されないこと、これこそが問題なのだ。
紀元前のギリシア都市とペルシア帝国との間で行われた戦争の様子が、リアルに描かれている。マラトンの戦い、サラミスの海戦、ペロポネソス戦争 etc.などは、どれも古代史上有名な戦いだが、当時の戦況をこれほど詳細に記述したものは読んだことがない。古代ギリシア世界をテーマにしたユニークな一冊。