大仏次郎は今では忘れ去られた作家なのかもしれないが、「鞍馬天狗」や「赤穂浪士」で一世を風靡した流行作家だった。
猫好きでも有名で、
猫を題材にした随筆を数多く書き残し、これはそれをまとめたものである。他にも
猫にまつわる短編小説1つ、童話が4つ含まれている。
随筆はどれも
猫を上品に愛情こまやかに描いて申し分ないが、短編小説も意外とよかった。太平洋戦争の終戦前後の模様が庶民レベルではどうだったのかこの大家の手によって残されていた。
猫好きなら一度は読んでおきたい本。
『天皇の世紀』は、幕末動乱を経て明治に至る近代日本の歩みを描く大佛次郎の構想が病で未完に終わるが、時代が人を創るのか人が時代を拓くのかという命題を今でも痛切に読者に突きつけて止まぬ歴史大作だ。登場人物は延べ千人を超える。初めて知る人名、事件、民心や時代風潮などが少なくない。正月のテレビ放送で幻の映像化作品を観たが実に見応えあるドラマだった。
原作を読むと、先駆者たちが行きつ戻りつの振幅を繰り返した歴史に直面させられる。封建社会の閉塞感に抗って非業に倒れた者たちのなんと多いことか!時代の壁を突き崩した奔流となる前の細流の意義に気付く。
刹那的な言辞を弄して外国交渉にあたる江戸幕閣の因循姑息。列強と戦火を交える犠牲を払って遅れを自覚し、藩政改革を先導する人材を台頭させた薩摩藩と長州藩。大老暗殺など攘夷運動の旗手となった後に血で血を洗う暗澹たる党派抗争に陥った水戸藩の面妖さ。
天皇の政治価値を理解した大久保一蔵(利通)や胆力ある公卿岩倉具視らが推進した討幕運動の薄氷を踏むような内実を大佛次郎は斬って見せる。新政権の財務を担った三岡八郎が坂本龍馬と共鳴し合った共和立国の志向を、「五箇条のご誓文」草案の「庶民志を遂げ人心をして倦まざらしむるを欲す」の一条に籠めた思いに触れる。一方で、狂乱の廃仏毀釈と浦上切支丹弾圧事件の経緯に言及し、明治新政府の「基督教を以って(国家形成の)第一の障碍」と看做す排外主義ぶりをも解き明かす。
条約開港後の堺港に強制上陸した
フランス水兵と港警護の土佐藩兵とが衝突した「堺事件」。発砲した土佐藩士20名の凄惨なハラキリに耐えられなくなった立会人
フランス士官が切腹を中止させたとの巷説を耳にした時、革命時に国王夫妻を断頭台に送った
フランス人らしからぬ臆病さに眉を顰めた。
本書によれば、遅遅として進まぬ切腹の儀式で帰艦刻限に間に合わぬと悟った士官が死者同数の処断を見届けて退席したのが真相だという。歴史の実相は、白日の下に曝け出されると醜くもまた哀しく映る、新たな驚きに満ち満ちている。
パリ・コミューンをこの上なく詳しく描いたドキュメンタリー小説。それは、3巻合計で1695頁というボリュームもさることながら、史実を当時の新聞、著作から引き、日を追い、時間を追い、ときには一つのことをいくつかの角度から眺めて生き生きと描写するところで特徴づけられます。この本を読めば、
パリ・コミューンの具体的姿が脳裏にリアルに焼きつきます。
パリに土地勘のある読者なら、一層リアルにそのドラマを追体験できるでしょうし、この本を読んで後に
パリを訪れる読者は、「
パリ燃ゆ」の舞台を体験できるでしょう。
第1巻は、著者がサン・ドニ
美術館に
パリ・コミューン政府の指導者の一人であるドレクリューズの最期を描いた絵をはじめとする関係絵画を見に行くところから始まります。とりわけて著者は、そこで見せられたルイズ・ミシェルを描いた絵に触発され、彼女の生い立ちをたどります。こうした導入は、小説家らしいものであり、全巻を通じてゴンクールの日記が多く引かれること、アルフォンス・ドーデーなど当時
フランスに生き、
パリ・コミューンについて作品を残す作家に触れるのも大佛の個性なのでしょう。ちなみに、本書最後の部分は、ブランキが獄中からクレマンソオに送った手紙の引用が中心になっています。
著者の描く
パリ・コミューンを追いながら、私は、ひとりでに、何故、
パリ・コミューンがこの時期に起こったのか、如何に又何故、壊滅に至ったのかなどを想いました。多分、著者もそれらを明かすべく筆を執ったのでしょうが、まさにそれを考える素材が散りばめられています。何故この時期に、に関しては、遡ってルイ・ポナパルトがクーデターを起こし皇帝にまでなるあたりから、主として政治・社会の姿を描きますし、壊滅に至った経過は、実にリアルに描かれています。経済は、ほとんど描かれません。そして、結論は、読者に任されます。
この本の読書の余録として、
フランスの作家の小説、たとえば、ドーデーの「月曜物語」に納められたいくつかの短編、それらが良く理解できるようになったことがあります。外国小説を読んでいまひとつピンと来ないことの原因に、その背景を知らないことがあります。同じことは、やはりコミューンを我が国隠岐の島に丁度同じ時代に見ることができ、その一端を「神と語って夢ならず」(http://www4.airnet.ne.jp/tomo63/kamito.html)で松本侑子が書いていますが、この理解が容易に可能であることにも裏返していえるのです。そして、これら二つのコミューンの異同を考えることも出来るのです。