深く思考すること、および知識を蓄積することは許されない。したがって、本の閲覧も所蔵も重罰に処せられる社会。許される娯楽は、刹那的な快楽の享受を約束してくれる<<テレビ>>の視聴とその中の<<家族>>との対話のみ。没収された本はすべて焼き尽くされる、そこに書かれてある内容とともに、華氏451℃の業火によって。
主人公モンターグは、書物を見つけ次第火炎放射器で焼き尽くす当の焚書官ではあるが、不思議な少女クラリスに出会ったことで、物事を「なぜ?」と疑ってかかる思考を取り戻す。そして本を一掃する自分の仕事、本を憎み焼き尽くす社会をごく当たり前のものとして受け入れていた彼の世界観にもほころびができてきて・・・。
レイ・ブラッドベリがSFを通して描き出すのは、まるで想像がつかないような遠い世界のようで、僕らの間近に迫っている問題のようにも思える。それは荒唐無稽なようで、僕らの生きる社会のゆがめられた戯画でないと誰が言えよう。
情報がその内容の質ではなく、膨大な量で計れるこの時代は紛れもなく情報過多である。
しかしそれら情報によって、僕らはより優れた選択をさせてもらっているというよりも、その情報のインフレーションの中で何も考えられない迷い子にはなっていやしないだろうか。そうだとすれば、パソコンのモニター画面に没頭する僕らは、<<テレビ>>に夢中になるミリーたちとなんら変わりない。
老教授たちが諭すとおり、答えは書物や情報の中にすでに収められているわけでは決してない。
あるのは答えでなく手段であり、あくまで僕らは自らの答えを、その思考をもってして紡ぎ出さなければならないのだから。
1970年代のアメリカ映画の監督を辿る一作。
決して映画黄金期では無い70年代だが今日の映像文化の直截な原点という意味でこの時代は重要であろう。
とりわけ、
スピルバーグ、ルーカス、コッポラといったビッグネームの出現と彼らにとっては決定的と言えるような作品を生み出したのはこの時代に他ならない。