認知症の両親を抱えた息子が必死の介護の末、母親の自殺を介助してしまう。安楽死は法的に及び道義的に許されることなのか。それともどのような事情があろうとも尊属殺人なのか。年老いた親を家庭で看るかあるいは施設など社会福祉に委ねるべきかについての見解も時代や文化背景によって異なることだろう。
心身ともに疲れてしまって親も子も自滅してしまうよりは、社会福祉に委ねるのがよいという考えも冷静で理性的な意見のように思えるが、親の介護を社会福祉施設にお願いする場合、一番の気がかりは、親がその施設で幸せに過ごすことができているだろうかということである。丁寧な看護を受けることができているのだろうか、対応は手荒ではないだろうか、親は同室のかたたちと仲良くできるだろうか、何か問題は起こしていないだろうか、と常時心配になるものである。それなら兄弟姉妹分担・協力して自分達の目のより届きやすい家庭看護の体制にすればよいではないかと言われそうだが、事情がそれを許さない場合もあるだろう。いやはや二重・三重に迷いが生じ、どれがよい判断なのか決心がつきにくく困り果ててしまい、この映画のストーリーのような悲しい結末を迎えることもあるのかもしれない。親を安心して委ねられる社会福祉の向上を願う。
登場人物のひとりひとりの立場や心情がとてもよく表現されていて、真面目に訴えかける作風であり、好感が持てる。
佐江衆一の名前は1970年代だったかに新進作家として
新潮社から売り出されていたことを記憶するのみで、作品を読むのは今回が初めてである。
「黄落」とは、俳句の季語でもあり、季節は晩秋となる。著者と重なりそうな60年配の主人公夫婦の90歳代の両親介護の格闘の物語だ。もちろんドキュメントでなく小説であることを承知しながらも、とても身につまされる。
老親の聞き分けのないボケぶり、下の世話には読んでいて気分が重たくなってくる。母の汚れた性器を息子が拭いてやるくだりが印象的だった。
そして施設へのショートステイの場面。まるで転校生の紹介場面だ。まず、老親たちは初めての体験に抵抗を示す。それをなだめながら施設に入ると紹介の場面になるわけだが、やがて、かえって居心地のよさを感じるようになる。
そんなものだろう。在宅より暮らすのにはずっと楽なはずなのに、なぜか初体験は腰が重くなる。
前半は、老親たちのボケぶりへの主人公の狼狽もあってか、なかなか読むほうも辛く感じるが、母が気を利かせてか、拒食して自死していく。その後の老父の暴走ぶりが、後半、声を漏らして笑いたくなるような軽快な進展にうって変わる。
何十年も連れ添ってきたというのに、結局お互い好きでもなかった夫婦の死に際の本音が辛い。
しかし、ひたすら忍耐するばかりの母と違って、父の方は施設で知り合った老女と恋愛感情を生じさせる。
主人公の妻からは「なんて不潔!」と嫌悪感を持たれる。男なら、つい許してやりたくなるものだ。父と息子、男同士の絆のようなものが、老人の恋愛にしぶとい熱を発しながら終局に向かっていく・・・。