収納力があり、重宝します。
iPadminiも十分入りちょっとしたお出かけにはいいです。
主人公ハーパーは、こんなふうな意味合いのことを言っている。
「人生の全てを、あるがまま受け容れていた頃、『不公平』なんて言葉は知らなかった」
「九歳のあたしには、信じたいことは信じられる幼さがまだあった」
「うちが貧乏だったこともわかっていた。あの頃はなんて幼かったんだろう。
それでも幸せだと思っていたなんて」
自分が普段考えてはいても、はっきりと言葉にできた試しのないもやもやした感じを、あっさりと言い切る。
子どもであるということは、なんて完璧で成熟しているのだろう。
それにひきかえ、大人たちはどうだ。
まるで自分だけが傷つき、痛めつけられているかのように酒に溺れ、
人生に絶望し、生きる術さえ子どもたちに甘え切っている。
ティンは、土を掘ることで家族から離れていったように見えたが、
実は彼こそが家族の全てを知っていたに相違ない。
ひとと違うことをやり続ける子どもを、私は受け容れられるか。
ひとと違うことをやり続けるということが、私にはできるか。
か細く、曖昧でありながらも、絶対に切れない蜘蛛の糸のような、
あるいは、地中の迷宮のような、家族の繋がりを綴った作品である。
Thursday's child has far to go.
(木曜日生まれの子どもはどこまでも行く)
英語圏ではおなじみのマザーグースの一節だ。
小さくてかわいそうなカフィを含め、
フルート家は七人家族。
この歌になぞらえて、登場人物が何曜日生まれかを想像するのも一興だ。
残念ながら私は土曜日生まれ。
Saturday's child works hard for his living.
苦労する…らしい。
第二次世界大戦、ナチスによるロマ(ジプシー)虐殺を背景にしたリ
アルファンタジー。
両親を失ったアンドレイとトマスの兄弟は赤ん坊の妹を守りながら、逃走を続けています。住民に助けを求めるわけにはいきません。彼らも今はロマを嫌っているのですから。
食料もほぼ尽きた兄弟は動物園にたどり着きます。そこには、人間がいなくなったあと、檻に閉じ込められたままの動物たちがいました。兄弟と彼らは語り合います。この戦争と、人間について。
幻想的な風景の中で語られるのは、それが悲惨な出来事だからです。
ナチスの迫害はユダヤ人に関してはよく知られていますが、ターゲットにされたのは政治犯、障害児、障害者、ロマもです。
1,995年は、
リュミエール兄弟によって最初の映画が
パリで公開されてから100年目
この作品は、その記念すべき日から現在に至るまでの
フランス映画1世紀を綴った作品
タイトルクレジットも入らず、バラッバラに見せているかのような映像
キス・歌・戦争・死・子供・ダンス・・・といったテーマ別に編集されていて
無垢な子どもたちのさまざま表情・・・・
見つめ合う男と女のさまざまな表情・・・・
数多くの
フランス映画で作られた
パリの街並み・・・・などなど
もう、どの映像がどの作品なのかというのは二の次で
集められた301本が、ひとつの映画のようになっているようにも思えます。
“
フランス映画は表情と視線の映画である”
映像を語るナレーションが、映画愛を感じさせます。