「国力」会議
今や、政治は停滞し、その悪影響が我々の生活にはっきり表れてきた。このことは我々に政治の大切さ、我々が立ち上がれば政治は変えることが出来るチャンスと考えられる。
この本に登場する政治家たちの論を読むと、日本はまだ世界に誇るべき民族であることがわかる。
平沼氏の中国外交に対する姿勢、毅然とした態度のみが、相手と独立国家としての相互に話し合いが出来ることなど、この書で初めて知った。決して日本のマスコミはこのようなことを報道しない。目先の問題への対応ばかりを問題にし、それらしか報道していない。
今こそこの国のあり方を明確に示すべき政治家の活躍や、世論の力が必要なときである。
ここに登場する政治家たちは、明確な軸を持っていることが分った。彼らの力に期待したい。また、それは我々有権者の政治や世論をしっかり判断する義務があり、そしてそれを選挙という権利で行使しなければならない。無知・無関心が最大の敵であることを再認識させられた。
官愚の国
「日本中枢の崩壊」(2011年)古賀茂明を読むとあと数年の猶予があるように思われるが、本書に来ると「傾き続けてこの先どこまで行っても浮かぶ目無し」と考え改める。
本書は内部告発の一種と言われるだろうが、告発というのか国民不在の利益闘争の茶番山盛り状態では告発の域を超えている。
原発を監督する部門が同じ役所の下にあった。一旦事が起きると糊塗されていたシステムがモグラ叩きに出る。こういった人災の被害者となる国民の方は堪らない。税を被り、放射能まで被る。天下りを一掃する言うから期待した政党が、直ちに宗旨替えの腰砕けとなる程度の国には良く似合うというべきか。
本書を見ても官僚制度の内部からの改革は全く期待できない。というより、一義的に改革とは自己反映のために肥大してきた独法などを切り捨てるに過ぎない。
今後数年で国の借金が国民の金融資産を上回り、2011年のギリシャのような状況が視野に入るまで5年か?10年も持つまい。その時ようやく山県有朋以来の大改革とマスコミが騒ぐには時期を逸している。その期に及んで年金も失っているだろうけど、日本人は改革と言うんだろうか。
「われら富士山」お山の大将で、同じ学校の先輩後輩がリレーするシステムを優秀だからなんて社会が続く異常がとうとう崩壊する事態となるところ。
世界大不況からの脱出-なぜ恐慌型経済は広がったのか
中南米危機は日本人にはやや遠い世界のことにも感じられなくもないが、アジア危機や日本の金融危機について、共通の構造を描いているので非常に論旨が明快で読みやすい。自身、難しいことはいくらでも難しく書けるがと書いているように、こういう語り口で平易に理解させる能力は単なる学者にとどまらず、新聞のコラムニスト、あるいはブロガーとして読者を常に意識しつつ文章力を磨いてきた賜物であろう。ベビーシッター協同組合の例えはわかり易いかどうか微妙だが、日本に同情的なのは親近感が持てる。ただ、調整インフレ論はそんなものかと疑問に感じないでもない。