久生十蘭短篇選 (岩波文庫)
この本で久生十蘭を知り、大ファンになりました。
堅くもなく柔らかくもない絶妙にかろやかな文体は、ずっと読み継がれていくべきものだと思います。
最近では十蘭関係の文庫が花盛りの様相を呈していますが、やはりこの本は素晴らしいです。
久生十蘭は幻想的なものからミステリー、江戸を舞台にした捕物帳までものすごく作風の幅のひろい作家ですが、この短編集にはなかでも幻想的で「この世」と「あの世」の境目に立っているような、繊細な作風の作品が収録されています。
十蘭をふたたび世の中に紹介するに当たりこれらの作品を厳選した岩波書店はさすが!、という感じです。
十蘭万華鏡 (河出文庫)
どこからともなく漂ってくる異国情緒(あるいは、異世界情緒、と言うべきか)の風と、語り物(たとえば、落語や講談)を思わせる軽妙な語りがあいまって、独特な世界が立ち上がってくる。軽い紹介しかしないが、冒頭に配された「花束町一番地」、その語り出して間もない箇所を引用しよう。
うるさい親爺やおふくろばかりではない、お嬢さんたちはいろいろなものを岸壁へ残して行く。/そういう花々しい船が出帆した後で、波止場人足が妙なものを岸壁で拾った。あまり可笑しな恰好をしているので、それをある物識に見せたら、これは貞操帯という格別なもので、ザラには落ちていぬものじゃと仰言った。
こんな作品を残した作家がいたなんて! 顔がほころんでくるのは、気のせいだろうか?
怪奇探偵小説傑作選〈3〉久生十蘭集―ハムレット (ちくま文庫)
日本の誇る最高の小説家のひとり、久生十蘭の作品がひじょうに入手しにくくなっているようで、悲しむべき状況と思います。
そんな中で、手に入る数少ない本の一冊が本書。「異端」や「怪奇」などの形容詞つきで語られることが多い著者ですが、一語たりとも無駄のない緊密な構成、飽きさせないストーリー、様々に張られた伏線、読むたびに異なる読後感、驚くべき博識、・・・ 小説家として当然なこれらの資質と努力、決して妥協をしない姿勢が、昨今ではあまりに当然でなくなったため、「異端」呼ばわりされる憂き目にあうのかもしれません。
「日々をさりげない視点で描いた~」とか「瑞々しい感性で~」とかのどれも十把一絡げな昨今のエセ小説、使い捨てカイロ的などうでもいい小説に飽きた方には、本書を読めば、小説のおもしろさを再認識されることは間違いありません。
著者の代表作ばかり集められているので、いつ、どこから読んでも楽しめます。倣岸不羈な明治貴族の純愛を描いた「湖畔」、母を絶望的に思慕する「母子像」、家族愛への渇望がテーマの「虹の橋」、奇怪な動物磁気学による「予言」、ハリウッドも真っ青の驚くべき「地底獣国」、きわめつけは、3ページ程度とはとても思えない強烈な密度、硬度の「昆虫図」以下の三作。
ホンモノの小説ここにあり、です。
久生十蘭ジュラネスク---珠玉傑作集 (河出文庫)
初めて十蘭を読むのならば、収録数や解説の充実ぶりから考えても、昨年出た岩波文庫の『久生十蘭短篇選』に軍配を挙げざるを得ない。しかし、本書は現時点で文庫や単行本では読めないものばかりを収録しており、その編集側の配慮は立派である。岩波文庫に比べると小ぶりだが、収められている10篇のジャンルは、歴史物(「無惨やな」「影の人」)、冒険物(「藤九郎の島」)、幻想物(「生霊」)、洋風物(「南部の鼻曲り」「葡萄蔓の束」)、他文献からの引用を基にしている史実物(「遣米日記」「美国横断鉄路」)、そしてミステリー物(「死亡通知」)と多岐にわたり、十蘭の作家としての多様性をまずまず楽しむことができる。
個々の作品に関しては、特に後半の5つ(「藤九郎の島」「美国横断鉄路」「影の人」「その後」「死亡通知」)がどれも特徴的ですばらしい。「藤九郎の島」はちょっとしたロビンソン漂流記だし、「美国横断鉄路」は十蘭のなかでも異色作かもしれない。最後の「死亡通知」は本書の中で一番長い作品(約50頁)である。この佳品の後半部を読んでいて既視感を覚えたのだが、あとでよく調べてみたら「水草」という別の作品がほぼそのまま組み込まれていることが分かった。この「水草」は数ページの長さしかない超短篇で、『日本探偵小説全集<8>久生十蘭集』(創元推理文庫)などに収められている。「水草」が昭和22年発表、一方「死亡通知」は昭和27年発表である。この5年間のうちに、十蘭はこの小品を再度練り上げることにしたのだろう。このような作法は、例えば現在絶版の『怪奇探偵小説傑作選<3>久生十蘭集』(ちくま文庫)に収められている「ハムレット」とその原型になった「刺客」の関係にも見られ非常に興味深い。そういう比較ができるのもまた十蘭を読む楽しみの一つである。
魔都―久生十蘭コレクション (朝日文芸文庫)
1934年の大晦日から1935年元旦までの二十四時間の間に起きた、
失踪した安南皇帝と彼が所持するダイヤの行方をめぐる大騒動。
のちに、荒俣宏『帝都物語』にも大きな影響を与えた
という、都市小説、ナンセンス・ミステリの怪作です。
海野弘氏は、作中のヤクザの市街戦は、1925年に 起きた
〈鶴見騒擾事件〉がモデルだと推定し、以下のような解釈を
示しています。
〈(十蘭は)安南帝のダイヤ事件を表層に張りめぐらし、その下に、1925年の
鶴見事件を埋めこんだ。それはヤクザと土建業とコンツェルン、そして政財界
全体がつながっている政治陰謀小説であった。
だが、さらにその下にもう一つの底があったのだ。それが二・二六事件下の、東京の
アンダーワールドの物語である、と私は想像する〉(久生十蘭 『魔都』『十字街』解読)
武装した兇徒が皇帝を補禁し、その上、丸の内という特別の地域で、その武装した兇徒が
警視庁に機関銃で立ち向かっていること、それが二・二六事件の見立てであるというのです。
軍部による独裁が行われていた当時、こうした大胆不敵な執筆意図を持って
本作が書かれていたのであれば、久生十蘭とは、じつにおそるべき作家です。