Super Sessions
言わずとも知られた名盤「Super Session」。かつてレコード盤がCD化され始めた時、デジタル化の波についていけず、音楽を聴くのがとてつもなく辛く、しばらく聴くのをやめてしまった。デジタル化による功罪はあるのだろうけど、こうして40年前の音がオリジナル・リマスター盤として復活し聴ける事は嬉しい限りだ。
ブルームフィールドが弾くレス・ポールの音は、筆舌に尽くし難い。
ブルース好き、ギター好きには必聴な一枚に違いない。
ひたすら展開されるインプロビゼーションに、時間の経過などはもはや意味することのない内容である。このような作品は次世代にも聴き継がれればと願わずにいられない。
ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]
やっぱり、CDで聴いているよりも、
歌っているディランを映像で見るほうが、
すきだなあ。
ボブ・ディランのことを語る人々が、
むかし、ちょっとひどいことをされた人であっても、
みんな嬉しそうに話しているのが印象的だった。
この『ノー・ディレクション・ホーム』を
見る前に、『ボブ・ディランの60年代』を読んだのですが、
順序は逆でした。
本で大切な内容と思われるところは、
この映像にほとんど入っていた。
赤心の歌
クラブDJ関連人気によりアル・クーパーの人気安定が続く、いまでは倶楽部ならびにフリーソウル定番トラックになってしまった「ジョリー」を含む本作は初めてアルのアルバムを購入するファンにはベスト盤の次の推薦できるアルのイメージを裏切らない最良の内容です、
1970年前後、最も精力的にアルバムを発表していた時期の最後の作品、ソロ活動開始後、ずっと多作ではあったが実はアメリカ国内での売上はどんどんと低迷してしまったのが当時の現実、本作後の70年代は自身の活動よりもプロデュース業に精を出すことになる、
本作は前作までの実験的な部分が抑えられてとても充実したボーカル・アルバムとなったことが世紀末以降に再評価されていることになる、1970年以降にブームとなっていたシンガー・ソングライター達にたいするアルの回答のような作品だとおもう、プロデュースはそうとうにエルトン・ジョンを意識したものであり、意図的にニール・ヤングそっくりのギター(実はアルはキーボードよりもギターのほうが上手)を弾くサービスのような部分もある、
スージー・クーパーのある暮らし (暮らしの本)
スージークーパーファンなら知らない人はいない、95年に出版されて絶版になっていた、「スージー・クーパーのある暮らし」の復刻版です。古いものと違っているのは、取り扱いショップの紹介ページがなくなっていることだけで、代表的な作品の美しい写真や解りやすい解説などは、全てそのままで復刻されています。スージー・クーパーのカタログ的出版物で、日本語で読めるものはこれだけなので、それだけでもコレクターには価値のある1冊だと思います。
デビルズ・ダブル -ある影武者の物語- [DVD]
ドミニク・クーパーが一人二役でウダイとラティフを演じています。これが凄いのひと言!! 一人二役にもかかわらず、ウダイとラティフのキャラクターを、画面を観ながら全く見間違えることがないという点にこそ驚かされました。同じ役者が、同じような格好で、同じように喋ったり振る舞ったりしていても、ふたりはまったく別人に見える。目つき、表情、身のこなしで、まったく別々の素性を持つ対照的な男として造形している。
エグイ暴力シーンもあればサスペンスもあるりますが、狂気の暴走を続けるウダイに比べて、その影であるラティフの人物像が添え物的になっているのが残念。また、リュディヴィーヌ・サニエが演じるウダイの愛人サラブも、男臭い物語の中の彩りに終わってしまっている。
戦場にいるラティフと、安全な場所で毎晩パーティを繰り広げるウダイの対比。ラティフと家族の親密な関係に対して、ウダイと独裁者サダム・フセインの冷めた関係とか、そうした対比によって、ウダイの狂気もより強調されたでしょうし、ラティフの悲劇もより引き立ったでしょう。ふたりの対照的な生い立ちや置かれている環境を、より掘り下げていけばよかったかもしれない。ウダイの愛人サラブとの関係や、映画の最後に出てくるウダイへの逆襲などでラティフの人物像を広げてはいるのだけれど、これも工夫の余地があったと思わせます。
また、ベルギー映画ということで、それほどの政治的メッセージもありません。ラティフの眼でみるイラクの姿を淡々と描き続けるだけで終わってしまってるような感じがします。本作を娯楽映画と観れば、その意味ではそれはそれでよかったのかもしれませんが。