影の部分 (真夜中BOOKS)
映画評論家である筆者の自伝的小説、主人公萩舟子は満州事変の年に渋谷で生まれる。
戦後初めてのフランス映画「美女と野獣」が公開され、抵抗の精神に惹きつけられる。
大人になり映画会社に就職、単身パリで映画買い付けの仕事を担当、ゴダールの長編
一作に「勝手にしやがれ」という邦題をつけ日本公開され若者の心をつかむ。
本書は日本の洋画受容史ばかりでなく女性の生き方にも影響したと思わせる一冊です。
悲惨すぎる家なき子の死
小説集としては4年ぶりですが、各短編の初出は、以下のようになっております。
悲惨すぎる家なき子の死 『文藝』2010年冬季号
死体晒し場 『文藝』2011年春季号
かつて馬だった娘 『文藝』2011年夏季号
心の始球式 『文藝』2011年秋季号
人間の顔にしか見えないものが 『文藝』2012年春季号
君は馬鹿より愚かしい 『In The City』第二集 2011年4月
まだ何も書いていない…… 『en-taxi』第二十号 2007年12月
ブランクはあったものの、中原昌也の毒は全く薄まっていません。これを読む少し前に、マリ&フィフィも読んだりしたのですが、文章力としてはこちらのほうが、確実に上ですね(だからといって、小説の面白さに優劣がつくわけではないのだけれど)。『ニートピア2010』には、本当にただの枚数稼ぎにしかなっていないような短編も散見しましたが、今回はスリムになっていて、スラスラと読むことができ、パワーも最後まで持続されています。特に、表題作は、今後彼の新しい代表作になると思われます。しかし、今作で一番、良い意味でも悪い意味でも、中原らしいといえるのが、「まだ何も書いていない……」ですね。このエッセイと小説をが双頭となったようなやけくそな作品に、どこまで耐えられるか? これは、中原自身から読者へ提出された踏み絵かもしれません(笑)
テイルズ オブ クロニクル 『テイルズ オブ』シリーズ15周年記念 公式設定資料集 (BANDAI NAMCO Games Books)
オールフルカラーで、非常に読みやすいし、まさにこの一冊で今までのテイルズの歩みが分かると思います
……が、非常に残念なのが声優インタビューでラタトスクとテンペストの両主人公&ヒロインだけありません
釘宮さんのインタビューや色紙を楽しみにしてたんですが、これにより☆−1ですね
死んでも何も残さない―中原昌也自伝
小説、作業日誌、対談、映画評……といろいろ読んでいるが、それぞれに違う面白さがあって、中原氏の著作でこれは駄目だったというものはない。
で、これはどうだったかというと、第一夜(1章)から第二夜(2章)にかけて、んん、このまま固有名詞の羅列みたいなものをえんえん続けるだけ?という気分になり、さすがにこれははずしたかと思ったが、三夜あたりに入る頃から、このぶっきらぼうな調子がかなり心地よくなってきた。印象としては、著者が語ったものを最低限ととのえるだけでごろんと投げ出したという感じか。入っている小見出しも、どういうやり方でこうした(こうできた)のかわからないが、かなり投げやりな感じ。いまの自分に与えた影響が大きいという意味で、「〜〜がでかい」という言いまわしが頻出し、というかこの手のなんとなく稚拙な表現が満載なのだけれど、著者にとっては、それをあえて気の利いた言い回しにすること(単純に取り繕うこと)に意味を感じないということではないかと思う。というか、むしろ文学の世界で流通しているような「洗練」からできるだけ遠ざかりたいという問題意識があるのだろう。結局、深刻ぶったり文学ぶったりしたポーズを取った、本当っぽいだけの言葉がいちばんつまらないのだ。
逆にこの本は、これまでの著者の著作の中でも生の声が(韜晦に打ち消されずに)最もよく聞こえてくるようで、徐々に引き込まれ、読み終わったいまの感想としては、いちばん好きかもしれないという気がしている。もはや今の著者の感覚として、中原昌也的な小説を書くことすら作為的でつまらないといった感覚から、この「ごろっとなげだす」形式にたどりついたということではないか。
とくに自分の音楽のことや小説のこと、その評価についてなど、本当に構えず語っているところなどとても面白く、中原氏の著作以外ではなかなか得られない充実した読書となった。
あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)
舞城といい、この中原昌也と言い、三島由紀夫賞の選考委員は中々勇気がある。
この文庫版には渡辺直己による『中原昌也小論』と言う割りとしっかりした批評・解説が載せられている。
まぁ終始一貫中原を絶賛するわけだが、僕ははっきり言ってこの小説家をそこまで高く評価できない。
もちろん、渡辺直己の解説にあるように、一種の新文学の片鱗を感じさせる文章・構成であることは否定しないが、同じく日本現代文学を語る上で欠かせない阿部和重、舞城王太郎ほどの文章力、インパクトを感じない。
単純にわかりやすく言えば、文章が上手くない。
同じく三島賞を受賞した舞城は、この小説と同じく圧倒的な狂気をはらんだ文章をつむぎだし、圧倒的にぶっ飛んでいるが、彼の文章は決してぶっ壊れない。
舞城は、ぶっ飛んでいる中にも非常にレベルの高い描写や比喩表現があり、阿部和重の完成されすぎている文章には、もはや崇高さすら感じる。
中原昌也は(この小説に限って言えば)、そのレベルに達していない。
でも、小説を書き続けて欲しい。
その先には何かある気がするから。