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福島第1原発 全電源喪失の記憶――証言・福島第1原発――1000日の真実

島第一関連の2冊目。本、文章でこれ程泣けるとは。前の一冊NHK出版のドキュメント福島第一原発事故7つの謎は、なぜ事故が起き悲惨な状況となったかを原発設備を主人公に描いたと感じるが、この本は徹底してその凄惨な現場での人達にフォーカスを当てた一冊だと思う。全てが共同通信社の高橋さん作文・・・と言えばそうだが、フィクションでない、つまり本当に起きたことだからこそ多くの場面で極まる感動と盛り沢山の人間味が涙を誘う理由かと。原発の現場プロとして自己犠牲=死もいとわず立ち向かう様は、どのページも読み飛ばすことなく完読に値する。また、前の一冊で十分認識できなかったが、福島第一がチャイナシンドロームだと第二、東海村と連鎖し、日本は国土の半分近く人が住めず、この東京でこうして暮すことすらできなかった恐ろしさを自覚できた。筆者、高橋さんの冒頭の言葉が、この本がどういう位置付けか、後世に残す意義と強い意思が伺えるため、これから読む方へ是非伝えたく違反覚悟で引用したい。「本書で表現したのは、・・事故の犯人捜しや原因究明を目的としていない。・・故に反原発、原発推進という議論には汲しない。所員を英雄視せず美談に仕立てる考えもない。また原発を危険なものとことさら強調もしない。」また前の一冊でもこの本でも痛感するのが、管直人のダメダメさ。なんでこんなのを一国のトップとしたのか、直接選挙ではないが連帯責任を感じる。本当に情けないを通り越し、その理由を彼の言葉の引用示したいが気を悪くするだけなので止める。当方目線では開発プロジェクトでも火だるま状態になるとこのような現場百害で一利もない者が登場するが、その共感と共に人間の限界を知り、トップいるべき人の人格、在り方を自戒できる反面としては役立つかと。本書は最後、吉田さんの死で終っている。彼が現場を仕切り、本店や官邸の現実味ない者達と戦った立役者であることは福島第一を知るものは周知の事実だ。史上最悪の原発事故を指揮したその彼が事故後語った言葉は、歴史に刻み広く公に伝えるべきであると信じ、これも違反だが引用したい。「今回の事故。原子力は非常に扱いづらい。危険なものと身をもって知ったわけだが、コントロールできないかといえば、俺はできると思う」残った我々は人生、暮らし、社会、全ての生きていくことを考え選択して行かなければいけない。この吉田さんの言葉が本物か、原発はコントロールできるのか、議論の前にまずこの本を読んでからと言いたい。 全電源喪失の記憶――証言・福島第1原発――1000日の真実 関連情報

福島第1原発 日本「原子力ムラ」惨状記―福島第1原発の真実

タイトルから判断すると、「原子力ムラ」と揶揄される原子力推進勢力の「惨状」を批判的に取り上げた書であると推測されるのだが、実は本書の批判・分析対象はいわゆる推進勢力にとどまらない。「原子力ムラ」を取り巻く反対・批判勢力から本来中立であるはずの報道機関にまで著者の批判の矛先は向かっている。本書は、「原子力ムラ」とその周辺の社会各層を高所から俯瞰する視点で、内在する問題点を洗い出している。福島原発事故後に出版された数多の著作の中でもこのような立場から書かれた著書は見たことがない。福島原発事故後、いくつかの調査委員会から調査報告書が発行されているが、本書にはこれらの調査内容を工学的に分析した内容が書かれている。いわば「調査報告書」の調査報告書とでもいうべき内容も含まれている。これを読むと福島原発事故の総括は、まだ何も終わっていないことを実感させられる。「あとがき」では本書が脱稿したのは2014年4月頃となっているが、朝日新聞のいわゆる「吉田調書」誤報事件を予見していたかのような記述が随所に見られる。日本の原子力の「惨状」がひとえに「原子力ムラ」にだけに帰せられるものではなく、日本社会全体の病理に起因するものであることを実感させられる一冊である。前作の「日本「原子力ムラ」行状記」と、本書に記載された原子力界の「惨状」は、著者の知り得るごく一部を暴露したにすぎないであろう。もし、次作が出ることがあるのなら、是非ともこれらを徹底的に世に晒してもらいたいものである。 日本「原子力ムラ」惨状記―福島第1原発の真実 関連情報




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