この西部劇はもう今まで何度観たことだろう、ちょっとくたびれた感じのG.クーパーが何とも渋く、花嫁グレース・ケリーが美しい。そしてテックス・リッターが唄う名曲「ハイ・ヌーン」が雰囲気を盛り上げる・・・。どこか異色西部劇でありながらも、醍醐味ある対決劇を見せてくれているのが素晴らしく、午前10時半に始まり12時にクライマックスを迎えるように作られた、その計算されたように醸し出される緊迫感はしばしば「リアリズム」という言葉に例えられたものだ。ところで、この映画のもう一つの主役といえば時計だろう。この映画の始まりから終わりに至るまで、さまざまな場所で時計が登場する。理髪店、駅、友人や元助手の家、酒場、街角、ホテル、結婚式場、保安官事務所・・・、主人公ウィルが尋ねていく先々のほとんどの場所に時計が出てくる。時計が無かったのはせいぜい教会と馬小屋くらいだっただろうか(脅威の時計普及率!)。その形も、柱時計、振り子時計、置時計、懐中時計とさまざまだ。そしてそれらすべての時計が正確に時を刻んでいるのである(唯一、街角にあったぶら下げ時計だけが止まっていたようだ)。この映画の年代は、アメリカ国旗の星が37あったので、たぶんネブラスカ州が加わった後の1870年あたりであろう。もちろんラジオさえ無かった時代の田舎町、人々は一体何を見て、すべての時計をピタリと合わせていたのであろうか。 真昼の決闘 [VHS] 関連情報
長い間、一番好きな俳優は?という問いには、ゲイリー・クーパーと答えていました。今でもそれは変わらないのですが、クーパーと言っても知らない人が増えてきたので答えづらくなってきましたね。それはひとえに、子供のころ見たたくさんのゲイリー・クーパー主演の映画の影響に他ならないわけです。何度も見ました。映画館でも見ましたし、TV放映の時も欠かさず見ましたし、ビデオやDVDでも繰り返し見ましたし、今でも見ます。ふと、思い出すのですね。あれっ『真昼の決闘』のあそこの場面はどんなだっけ?といった具合に。先日、ある映画監督に、映画の三要素というのを教わりました。それは、映像、音声、時間だというのです。『真昼の決闘』は、映画と時間の関係を閉じ込めた作品として真っ先に語られる名画です。そうなると途端に見たくなるのです。時計を映したカットが刻々と挟みこまれているのですが、個人的な印象では、クーパーが街の中を歩き回っている姿が脳裏に焼き付いています。今回見て、この映画が描いたのは、庶民のしたたかな生き様であったのかもしれないと思いなおしました。此方も年齢を重ねて、見る視点も変化してきたのでしょう。いつも笑顔で、友好的で、それでいて危険を感じると一切のかかわりをもたなくなる庶民という人々。しかしそれも風向きが変わると簡単に解消され、前よりも一層親しい笑顔で近寄ってきます。クーパー演じる引退間際の保安官を簡単に見捨てて保身に走る庶民。目を背けたくなるほどの嫌らしさを持ち合わせた人々の姿こそこの映画が描こうとしたものだったのではないかと思わされました。この弱い人々の性質は21世紀の今日でも何一つ変わっていません。それだけに、この映画は永遠に見続けられるのでしょうね。ディミトリ・ティムオキンの名曲と共に。 真昼の決闘 [DVD] 関連情報
真昼の決闘―大統領が愛した西部劇 (シネマが呼んでいる 2)
映画を見るように、しかもそれよりはるかに詳しく、引き込まれるように一気に読了した。一本の映画に、これほどまでの背景とドラマがあるのだとは思いもしなかった。「赤狩り」の狂気、作曲家ティオムキンの決断、監督ジンネマンの運命観などはじめて知ることができた。米国大統領に好まれる理由もよくわかった。膨大な資料をよく整理し、細部に至る考察がよくなされている。構成も緻密だ。「真昼の決闘」は過去に見たような気もするが、本を読んで思わずもう一度見たいと思った。 真昼の決闘―大統領が愛した西部劇 (シネマが呼んでいる 2) 関連情報
真昼の決闘 ( 日本語吹き替え ) DDC‐077 [DVD]
西部劇の中でも、徹底した心理描写が描かれる異色作である。「退役した保安官」と「仇打ちに来た悪党」の決闘という一貫したテーマの中で、1時間40分という限られた時間の中、さまざまな登場人物の思いが交錯する。非常に密度の濃いドラマで、目が離せない。ぜひ見ていただきたい。 真昼の決闘 ( 日本語吹き替え ) DDC‐077 [DVD] 関連情報