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やすまる 神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

「神々の明治維新」の著者・安丸良夫は,“はじめに“の最後に,「日常的には神社崇拝とはほとんど無縁な私たちではあるが,元旦や結婚式や家屋の新築などに関しては,神社の世話にならないと,内心におちつきと安らぎがえられないらしい.これらの宗教的行為がふかい宗教性なしになされる社会体質をつくりあげた諸契機を知るには,神仏分離と廃仏毀釈につての歴史的考察は,ささやかな手がかりを与えてくれるものと信ずる.」と言う趣旨のことを書いている. 明治維新における神仏分離と廃仏毀釈に関する,私にとってショッキングな事件は,奈良・興福寺の僧侶が寺を捨て一人残らず春日社の神職になった事である.例えば,イスラム軍団に包囲されたエルサレムのキリスト教神父が,全員翌日からイスラムの導師なるなどと云うことはあり得ない.日本の宗教はそれとは違うとすれば基本的にどこが違うのか.明治の庶民は上記の様な事件をどう受けとめていたのか.明治維新の廃仏毀釈以前は,徳川幕府の宗門改・寺請制度によって,寺院は幕府権力の末端機関・戸籍係としても機能していた事とどう関係するのか.自己の信仰の中で,一般庶民は宗門改や寺請制度どのように受けとめていたのか.この様な興味から,私にも流れている日本人の信仰心を,どう捉えどう育てて行くかを考えるとき,明治維新における神仏分離と廃仏毀釈のドタバタ騒動を本気で,心で勉強する必要を感じています. 神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103) 関連情報

やすまる 出口なお――女性教祖と救済思想 (岩波現代文庫)

 日本の近代化の下、凄まじい困窮に耐えながら大本教を開祖した女性の話である。本書が現代にどのように反映されるかを考えさせられた。 出口なおは、明治維新以来の富国強兵の中で、その犠牲ともいうべき状況の下、極貧の生活を強いられた。「強いられた」という言い方にはやや受動的な響きがあるとしたら、ここにはふさわしくなかったかもしれない。著者の描く出口なおはむしろ能動的に極貧生活を耐え抜いたように見える。 但し、限りない自己犠牲の中で、どうしてもその不条理に耐えかねた時に、彼女の情念が宗教という方向性に放出されたという話だ。不条理を「終末観」に因って葬り去り、新しい世が来るという「物語」を作り上げるという人間の考え方のスキームは千年王国思想等、人間には普遍的なものだと聞く。 この文脈で現代の日本を考えてみるとどうか。 今の日本もグローバリズムという大きな流れの中で、切り捨てられる人が急増していくことが目に見えてきている。本書が書かれた1976年の日本と、2011年の日本は既に全く違う。一億総中流という幻想を持てた時代が懐かしい。現在は出口なおと同じく、時代に取り残された人が増えていないだろうか。そういう人達の情念が、ある種の方向性に放出され始めてはいないだろうか。 出口なおは自分の情念を自分で「物語」化することが出来たと僕は思う。一見荒唐無稽であっても「物語」には「論理」が構成される。「論理」が構成されれば、その中に身を置くことが出来る。 一方、自分で物語化出来ない場合には、他の人が作った物語に身を置くことも可能だ。オウム真理教もその一つだろうし、もっと一般的に言うと、日本の企業社会文化ですら、そんな「物語」の一つなのだと思う。「物語に参加出来ているという実感」が無ければ、往復の満員電車に揺られて通勤等出来ないと僕は思う。  現代はそんな「物語」が枯渇しつつあるのではないかと僕は思う。今、放出される情念がどのような結晶を齎すのかは見えにくくなっている。それは例えば無差別な暴力という形かもしれないのだ。 そう思う中で、35年前に書かれた本書は今なお示唆に富む。僕はそう考えた。  出口なお――女性教祖と救済思想 (岩波現代文庫) 関連情報

やすまる 日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

かつて羽仁五郎の人民史観が一世を風靡した。一向一揆や堺の自治制、百姓一揆に日本歴史における人民の闘争の歴史伝統を観る歴史観である。その観方は最近の実証研究によって覆りつつある。しかし、その実証研究に「民衆は常に敗北し続けたし今後も敗北し続けるのだ」というニヒリズムを感じてしまうのは私だけであろうか?本書の「あとがき」に著者は60年安保闘争体験を語っている。あの当時、知識人や学生は「民衆は平和を愛し戦争を憎むものだ。だから日米安保には反対なはずだ。我々のあとに民衆は必ずついてくる」というドグマを抱いて国会前に座り込みデモを行ったのだろう。しかし岸信介が言ったように「国会前に1万人のデモが来たって? 後楽園球場には4万人がプロ野球を観に来てるじゃないか」。後楽園は比喩としてともかく、日本の大多数の民衆は欧米に経済的に追いつくことを、自分のテレビや洗濯機を買いたいという私的目標を国家目標に綯い合わせながら、「ああ上野駅」の歌詞にあるように「俺にはでっかい夢がある」と必死に働いていたのだろう。そこに「左翼幻想」があったと笑って済ますことが出来るだろうが、安丸氏は、その60年安保体験が民衆思想史の研究に進むモメントがあったと記している。著者の60年安保の挫折体験と「左翼幻想」の克服の成果が本書だと私は思う。本書で体制イデオロギーだった「通俗道徳」の血の滲むような努力こそが支配階級に奪われていた人間として存在価値の奪還だったと著者は述べる。左派の歴史家であれば「通俗道徳」なぞ所詮体制イデオロギーだと、その「反革命性」を説くところだが、著者はその「通俗道徳」の民衆一人一人の体現こそが一揆における鬼神のような暴力性(ベンヤミンの神暴力)や丸山教における変革願望(筆者が付け加えるとすれば中山ミキや出口ナオのそれ)を生んだという。もちろん、これらの一揆や変革願望は、幻想的レベルに止まっており来るべき新体制の明確なビジョンを欠いていたため失敗と挫折に終わるほかなかったと手厳しい(一昔前なら「だからこそ『科学的社会主義』=マルクス主義が必要なのだ」となるが、それは破綻している昨今である)。しかし、三浦命助などは通俗道徳や儒教倫理をとことん突き止め、一過性の花火に終わったといえ、彼らの歴史に遺した意味を安丸氏は見事に掬い上げている。羽仁五郎の人民史観の安易な革命伝統は否定しつつも、通俗道徳の徹底化による自由な主体の回復を歴史に探る試みは、現代に生きていて自由原理主義的な価値観に支配されながらそれと格闘する(儒教原理に支配されながらそれと格闘する百数十年前の民衆と相似形)プレカリアートに勇気を与えてくれるであろう(ただ惜しむらくは、あまりに専門的すぎて一般的読者に難しい書きぶりになっている)。羽仁五郎はイタリアの歴史学者クローチェの「すべての歴史は現代史である」という言葉を引いている。「しょせん一向一揆とは」「しょせん百姓一揆とは」という実証研究の名を借りたシニカルな言論に、おそらくそれが歴史的に正しいであろうとおもいつつ、私は内心で疑問を覚える。1970年代という歴史び転換点で書かれた本書は、60年代の誤飾がありつつも理想に燃えた熱い熱気とその反省とが有機的に結びついた、現代でも読み継がれるべき良書だと思う。 日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー) 関連情報

やすまる 立体成型されたアイマスクが目をやさしく包みます。「睡眠用遮光スリープマスク(耳栓付き)」(花柄)

思ったよりも素材がしっかりしていて、遮光性もバッチリでした。耳栓付きでお得感も◎形は、立体になっており目と鼻への圧迫感はありません。後ろのベルトは長さ調節が可能で、マジックテープのような感じですが、寝ても痛くならずに快適に寝ることが出来ます。とても気に入りました。 立体成型されたアイマスクが目をやさしく包みます。「睡眠用遮光スリープマスク(耳栓付き)」(花柄) 関連情報

やすまる BRIDGESTONE(ブリヂストン) REGNO GRVII 195/65R15 091H 低燃費タイヤ

モノ的には申し分なくロードノイズも格段と減り、足回りブッシュを交換したかの様です。また交換前のタイヤの性能次第ですが、確実に制動性は向上しているのを十二分に体感出来ます。後はタイヤ交換時のバランス取り次第なので、腕の良いタイヤ屋さんを探してください。 BRIDGESTONE(ブリヂストン) REGNO GRVII 195/65R15 091H 低燃費タイヤ 関連情報




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