石田法嗣 商品

石田法嗣 カナリア [VHS]

日本には、世界に通用する「普遍的テーマ」をストレートに扱う映画が少ないと思う。その意味で、本作は画期的である。塩田明彦監督が今回取り組んだテーマは「自我」であったように思う。かつて新興宗教集団が引き起こした事件(オウム真理教のサリン事件)をモチーフに、それに対してほぼ直球勝負で挑んだと、こう言えるのではないか。この物語は、主人公の光一少年が、教団ニルヴァーナから逃亡する場面から始まる。それは、まるで「彷徨う自我」の象徴である。そもそもニルヴァーナへの入信が、光一の意思であったわけはない。彼は母親(道子)の自己実現に付き合わされていただけである(道子は教団幹部であり、指名手配されている)。だから、彼の「自我」は、彼のものであって彼のものではなかった。それに耐えきれない光一は、とうとう逃走を図ったのである。光一が「自我」を手にするためには、最終的に妹の朝子を祖父の元から奪い返さねばならない設定のようだ。途中、ユキ(谷村美月)と出会い、彼女に助けられながら朝子を目指していく。最も強烈だったのは、元幹部の伊沢(西島秀俊)と再会した時の場面である。「自分が何者であるのか、自分自身で決めなきゃならない」、「自分が自分でしかないことに絶対負けるな」という彼の言葉が忘れられない。こうして、光一は、自分の「自我」がニルヴァーナや母親から押し付けられたものであることを悟り始めるのである。そして、母道子の死亡報道を目にした時、光一は発狂した。果たしてこれは何を意味するのか。これは、彼の「自我」を抑圧していた愛すべき母が実体として消えたことで、悲しみと同時にその「自我」が完全に開放されたことの象徴として見える。ユキが「子どもは親を選べないのや」と叫ぶ場面も印象的である。光一の祖父は、道子への教育の過ちを、朝子で埋め合わせようとすることに自覚的であった。そんな身勝手な行動は、人類全体へ向けた警告のようだ。とまあ、ここまでは非常に楽しめたのであったが、ラストシーンが興ざめであった。光一の祖父を刺そうとするユキの手を静止したのは、突然現れた光一であった。しかも、何とその頭髪は金髪になっている。きっと「覚醒」を象徴した演出なのだろうけれども、あまりの変化についていけなかった。ともあれ、「彷徨う自我」は妹朝子を取り戻したことで定まった。ユキの「どうするん、これから」という問いに、光一が答えた「生きてく」という一言はそれを象徴している。最後、三人で手をつなぐ後ろ姿は何とも幻想的である。だが一方で、こうした作品は最後をぼかさないと終われないのかな、という残念な思いも頭をよぎった。つくづく感じるのは、本作は間接的に「個」を扱っているにもかかわらず、「家族は特別である」という前提を免れていない点であった。母子の絆であったり、妹とのそれであったり、祖父に対する憎しみでさえ愛情の裏返しである。結局、人間(日本人?)は「家族」の縛りから逃れることはできないのか。家族なしに「個」を持つことはできないのか。非常に考えさせられる映画であった。 カナリア [VHS] 関連情報

石田法嗣 火垂るの墓 [松嶋菜々子/石田法嗣/井上真央] [レンタル落ち]

野坂昭如の何ともやるせない物語。アニメが最もポピュラーらしいが、松島菜々子版が最もリアルで好ましい。悲劇こそドラマ。戦争が悲劇を生む。DVDはレンタル落ち、中古で充分。 火垂るの墓 [松嶋菜々子/石田法嗣/井上真央] [レンタル落ち] 関連情報

石田法嗣 恋しくて [DVD]

八重山の自然と民族意識、そしてその文化と人情がそこかしこにちりばめられた作品。ワンダフルワールドなど 好きな歌もたくさん入ってるし、屁もいっぱい (笑)青春映画としてもすがすがしい 恋しくて [DVD] 関連情報

石田法嗣 すぐにケータイをかけなさい!~頭でわかっていても、なかなか行動できない人を、「すぐやる人」に変える50の方法~

時間を無駄に過ごしそうになった時にそっと手に取ります。他の自己啓発本のようにマーカーで色を付ける部分は皆無。それは全ての言葉に無駄がないように思ったから。(正直こちらの出版社は今まで好みじゃなかったです。)否定ばかりしている人は何を見ても否定するだろうし、賢人はどんな小さい事からでもヒントを得るのだと思う。下らないと思わずに少しでも何かを得てもらいたい。 すぐにケータイをかけなさい!~頭でわかっていても、なかなか行動できない人を、「すぐやる人」に変える50の方法~ 関連情報




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