とにかく原子炉3基が次々に爆発し、放射性物質がこれほど人口が密集した国で広範囲に撒き散らされる事態なんて前代未聞で、どう考えても「人類史上最悪・最大・最凶の大事故」としか言いようがありませんが、事故発生から2年が経過しても、誰も責任を取ろうとも取らせようともせず、しかもいまだに危機的状況は継続中だというのに、危機と向き合うことを忌避したいのか、あるいは疲れ切ってしまったのか、あたかもはるか昔の出来事であるかのように扱う風潮が蔓延して来ていることには違和感ありまくりですので、園さんのように真正面からこの問題を取り上げる人を、出来上がった映画にどれほど不満があっても、私は支持し続けたいと思っております。
だいたいね、各種映画雑誌のベストテンだの
アカデミー賞の猿真似だのと、日本の映画業界にも権威めかしたものはいろいろありますが、そのなかに、この映画の「志」を評価したものが、一つでもあるでしょうか。そもそも、フクシマを扱った映画自体が少なすぎます。私は最近の日本映画事情には疎い方ですが、それでも根が映画ファンですので、ネット等での映画の話題には目を通しておりますが、フクシマと向き合った劇映画と云ったら、この映画と、「おだやかな日常」ぐらいのもんでしょう。なにをやってんのかね、日本の他の映画作家の皆さんは。映画ジャーナリズムの中には、「原発事故を金儲けに利用するのはけしからん」みたいな論調もあるらしいですが、まったく、何を言っているんだか。小説家も画家も作曲家も映画監督も、ものを作ったところで、売れなければどうしようもありません。「物を作ること」と「売ること」とは表裏一体の関係です。であれば、「物を作る」創作者の姿勢として、フクシマを避けては通れないと考える方が、何事も無かったかのように頬かむりするよりも、はるかに誠実な態度だと思いますけどね。
さてこの映画ですが、たいへん志の高い力作だとは思いますが、根本のところがダメですね。根本がダメだから、登場人物の行動にイライラしてくるんですよ。
見る前は、てっきり「フクシマの再現ドラマ」だとばかり思っていたんですが、原発が爆発し、20キロ圏で避難対象地域とその外側とに分断され、内側の人たちは避難所生活を余儀なくされる。その展開の過程で、「フクシマを思い出せ」、「また騙された」と云う台詞が出てきて、「あれ?」と思いました。登場人物たちが生きているのは「フクシマ後の世界」だったんですね。ところが、事故後の登場人物たちの行動を見ていると、まるで「原発事故を初めて経験した、この2年間の我々の姿」そのままにしか見えないんです。園さんがこの映画で設定した、つまり園さんが想定する「フクシマから数年後の近未来の日本」では、今回の事故の教訓を、国レベルではともかく、個人レベルでもまったく活かせていないということですか? いくらなんでも、日本人がそこまで愚かだとは思いたくありません。登場人物の中でも、当初から放射能に対する危機意識を強く持っている主人公(夏八木勲)などは、おそらく飯舘村の酪農家の方をモデルにしているんでしょうが、フクシマに続く2回目の事故ともなれば、もっとアグレッシブに行動するでしょう。同じように危機意識を持っている息子の嫁(神楽坂恵)に至っては、なんで避難先で、今さらのように放射能の本などを読んで勉強しているんでしょうか? 彼女は、フクシマでは何も勉強しなかったんですか? 今の日本では、危機意識を持っている若い女性や小さい子供さんのいる母親は、放射能について、相当勉強されていますよ。そういうものは、社会全体の意識として、蓄積されていくはずです。しかしそんなものすら、園さんの想定する近未来には、存在していないであろう、ということでしょうか? 現実に原発事故が継続中の現時点において、そこまで「絶望」的に考えたくはありません。
私も某原発の近隣住民ですので、そこで事故が起これば、確実にこの映画の登場人物たちと同じ状況に置かれるわけです。しかしおそらく、登場人物たちとはまったく違う対応をするでしょうね。大混乱が起ころうがパニックが起きようがお構いなしに、何が何でも全速力で逃げます。国を信じて大人しくジッとしていたらどんなことになるのか、福島の現実を見ていればわかりますから。映画の若夫婦は悔しがって泣いていましたが、実際に今度また起きたら、どうなるでしょう。「誰も責任を取らないし取らせもしない。事故原因(構造、スキル、体制上の問題)の究明とその対策実施も終わらんうちに再稼働を強行する」というような粗っぽい政治の帰結として再び事故でも起きれば、これはもう、今のように、「国民が社会秩序を優先し、国の将来にいまだに「希望」を抱いて大人しくしている」なんて状況は、少なくとも私には考えられません。
エジプトやリビア、シリアのような事態になるであろうと、期待はもちろんしませんけれども、確信を持って想像はしております。
以上、映画を見て感じた違和感をあれこれ述べてまいりましたが、最近は年のせいで涙腺のしまりが悪くなったのか、終盤での、息子の嫁と主人公との車の窓越しの別れのシーンには、泣かされました。
追記(2013.5.12)
夏八木さん、亡くなられたそうですね。この映画での演技は素晴らしかったです。最後に代表作を残されました。ご冥福をお祈りします。
後半の2曲、特にレベッカ・クラークが美しい。
正直言って、ピアノのオスガー氏は以前の来日時の演奏や輸入盤CDでは自分が主導権を握りたいのか目立ちたいのか、アンサンブルとしては大いに疑問を感じさせる演奏で、清水直子の足を引っ張っていたと思う。
清水直子ファンとしては早く別れて欲しいとさえ思ったほどだったが、今回はそれがかなり改善されて、特にレベッカ・クラークでは美しい演奏を聴かせてくれてとても良かった。清水直子は以前にも増して豊かな美しい音と繊細な表現を聴かせて見事です。タベア・ツィンマーマンよりこちらが好きです。
ジャケットの写真が怖い!
少女隊の二人が出演ということで、放映当時見まくりました。ビデオにも録画なんかしたりして。ということで、永久保存盤、孫の代まで伝えたい、少女隊フリークにはぜひ、おススメものです。
正規・非正規問わず、完全に法律を守った働かせ方をしている会社は少ない・・いや、殆ど皆無じゃないの!?だったら、働く側から権利を主張して、会社に法律を守らせるしかないじゃない!
本書では、「これっておかしくない?」と思うようなケースを挙げ、法律ではどうなっていて、具体的にどう対処すれば解決できるかを非常にわかりやすく説明しています。特に、非正規雇用なら、何かしら当てはまる状態では?
一家に一冊、会社の経営者の机の上にも置いてやりたい一冊です。
日野市の私立病院で検査をしまくったら、異常なし。しかし、生理前からの半月間生理痛があるのでした。偏頭痛もあったり、ふらついたり、記憶がなくなったまま歩いたりしている自分を精神科で診てもらってきましたが、「気分」の生理痛か子宮内膜症が軽くあるかだと言われました。精神科では脳に異常がないことから、他の病気を疑って生理痛のひどい半月間、ロキソニンと言う薬を出していました。そのことを、検査した婦人科の医師に伝えると、そんなに飲んじゃだめだ!と。しかし、それでは生活もままならないと訴えると、なら飲んだらという回答。ひどいなぁとおもって、帰りに図書館に寄ってみると、この本があって、「月経前症候群」と言う名前を見つけました。そして、病状もそっくり。でもどこに行けば、この状態を軽くしてもらえるのだろうかとか、漢方薬を出してくれる婦人科ってあるのだろうかとかがあまりかかれていないのが残念でした。でも、分かってよかった。うれしくて涙が出ました。