高橋揆一郎が北海道の出身とは知らなかった。歌志内の生まれで、今、生きていたら80歳と少し。頑張って長生きしてもらいたかったですが、2007年に没しています。
やはり映画と違い、小説はディテールが描き込めますから、深く心に沁みわたりますね。最近の若手が、ドラマ化されることを意識して最初から小説を書いているわけでもなく、ブログもない時代ですから、49歳の主人公伸予が中村光夫氏が言うように「老年の女性の恋」を書いているというのは笑えますが、当時はそういう空気だったんでしょうね。今や40.50代の女性の恋など当たり前な時代から見ると少し古い感じがしますが、素直に読んで楽しめました。
最後の感想としては、49歳はまだまだ若い。この描き方は少し可哀想! それが実感です。高橋氏の経験と想像力の為せるイメージでしょうが、「おんな」の本性を書ききっているとはとても、思えない。
そうは言っても、ぐいぐいと最後まで読者を引っ張って行く力量はさすがですね。北海道から出た初めての
芥川賞作家というのも何か嬉しいものですね。
道徳的な終わり方も少し味気ないのですが、やはり伸予にその頃はわたしなどすっかり感情移入していますので、可哀想で涙がでました。
表題作の
タイトルの『伸予』とは何かというと、主人公の女性の名前です。
四捨五入すれば50の元教師。その伸予がかつての教え子を家に招く冒頭シーンは印象的でした。
まるでウブな少女のようにドキドキしながら海苔巻を作ったりなんかしています。巻く手に力が籠もる様子が伝わってくるような描写です。
でも伸予も教え子も、互いに特別な感情を抱きつつも同時に板挟みの感情に苛まれてもいました。挟まれた者同士の二人が、海苔巻のようにぐるぐると巻き込まれていった時、どの部分で出会う、あるいは擦れ違うのか。といった辺りを微妙に描いているように感じられました。
例えば膝枕をするシーンがあったりするわけです。膝枕なんて、今ふうに言えば萌えシチュエーションかもしれませんが、現実には裏腹に気持ちいいというよりは痛いものだと思います。お互いに。
伸予の中にある女として教え子を想う色香のような部分と、現実の老醜の部分もまた裏腹なものだと思えます。
相対するものは、対等の現実性を持って同じ場所に同居していつつも、裏腹な関係。その近くて遠い対比を上手く描いているのではないでしょうか。