これは文学作品ではない。あくまでも娯楽小説である。にもかかわらず、日本の純文学など足元にも及ばないほどの構成には脱帽せざるを得ない。 この作品の筋自体は単純なものである。が、読んでいる最中は全くそれに気づかない。それは前述した重厚緻密な構成によるものだが、さらにその構成の基礎に様々な歴史的事実を折り込んで、小説というものの持つ「所詮は虚構に過ぎない」という原理的問題を最後まで見せない奥の深さを持っているからである。 「モナ・リザ」の名前の由来と作品の秘密、「最後の晩餐」に描かれたイエスの本当の姿、欺瞞に満ちた西洋宗教史、などなど知的刺激が満載の傑作。
追記:この作品を楽しむ条件は「歴史に対する無知」である。西洋史に詳しい人にとっては、この作品は「ストーリーの組み立てに都合の良い史料であれば捏造されたものでも使い、都合の悪い史料は排除する、許しがたい作品」となる。
例えばモナリザのモデルと言われているエリザベッタについて触れていないのは、彼女について言及するとストーリーの流れがそこで止まってしまい、娯楽作品としては致命傷になるからである。
せいぜい三回も読めば充分で、後は棄ててしまえばいい。自分が無知な間は楽しめるであろう。
私は、純粋に、
暗号解きのスリラーとして非常に楽しめました。
20年程前に出版されたHoly Blood, Holy Grail(邦訳「レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説」)がこの本の元ネタであるのは明らかで、明らかにそこから引用している箇所にも気付きましたが、そのことを別にしてもスリラーとして楽しめます。この本の中で、Holy Blood, Holy Grailをわざわざ紹介していることから推察されるように、どうも著者は、読者を知的に啓蒙したいようです。20年前にHoly Blood, Holy Grailを読んだ時に、私は夜眠るのも忘れる位、衝撃を受けましたが、まだ読んでない方は騙されたつもりで是非どうぞ。この小説以上に面白いこと請け合いです。現在では邦訳もありますから便利です。
文体は『Harry Potter』よりも易しく読みやすいものの、専門用語が多くて、英和辞典はもちろん、仏和辞典、聖書、更にはウエストミンスター寺院のパンフレットまでも手元に用意して読みました。語句を調べるのは多少面倒くさかったけれど、単なる読書ではなく、自分自身も謎解きに参加している実感を味わえて、とても楽しかったですね。
ひとつ不満があるとすれば、話しの展開に、少し安易さが見られたことです。Langdonがルーブルから逃げたとの情報が入った時、Sauniereの死体の回りから警察がいなくなって良いのか?Sophieの真っ赤な車や、二人が乗っ取ったタクシーを、パり警察は検問で捕まえることはできなかったのか?・・・などとおじさんは少し疑問に思うわけです。シドニー・シェルダンならもう少しうまく書いただろうにな、とも。
しかしこの本の題材は、東洋の一小市民の疑問など軽く吹き飛ばしてしまうほど、深く、壮大で、そして永遠のロマンを秘めています。今年の洋書No1です。
最近、”キリストを神ではなく一個人としてみる”という風潮がはやっている様に見受ける。メル・ギブソンの映画然り、”ダビンチコード”も然り。そうした風潮や、見解自体が議論を呼ぶということは、キリスト教徒ではない日本人にとっては若干分かりにくいことではあるが、この本ではフィクション形式で分かりやすく、欧米人の宗教観のようなものを理解させてくれた。特に聖杯伝説は
ハリウッドでも多くの映画があるほど欧米人には興味のあるストーリーであるが、この本の中で紹介している聖杯伝説の仮説はすごく興味深い。